青木慧
ナビゲーションに移動
検索に移動
青木 慧(あおき さとし、1936年1月1日 - 2008年8月12日)は、ジャーナリスト[1]、フリーライター[2]。山猿塾主宰。
兵庫県氷上郡市島町(現・丹波市)生まれ[1]。兵庫県立柏原高等学校卒業後[1]、家業の果樹園経営と養鶏を継いだが経営に失敗[3]。1959年に上京し、セールスマン[3]、新聞記者、雑誌記者を経て、1979年からフリージャーナリスト[4]。大企業、労使問題、環境問題、農業問題などをテーマに執筆活動を行った[1]。著書の大半で大企業中心の社会を批判している[3]。
パソコンの使い過ぎで腕を痛めたため、1993年頃から体を動かす生活をしようと故郷の市島町にテントを張って自然観察を始めた。パソコン通信を通してこれに関心を持つ人が集まり[5]、1995年に市島町に移住して私塾・山猿塾を開設した[1]。その後、12年間に約3000人が山猿塾で学んだ[6]。自給自足の生活を送り、自力で住宅を建て[3]、パソコン通信・インターネットで「山猿塾だより」を配信した。この取り組みに関する著書も刊行した[1]。
著書[編集]
- 『トヨタその実像』(汐文社[同時代叢書]、1978年)
- 『福沢幸雄事件――トヨタを告発する』(汐文社[同時代叢書]、1979年)
- 『日産共栄圏の危機――労使二重権力支配の構造』(汐文社[同時代叢書]、1980年)
- 『青い鳥はどこへ――日産厚木除名・解雇事件』(労働旬報社、1980年)
- 『偽装労連――日産S組織の秘密』(汐文社[同時代叢書]、1981年)
- 『労使戦争――日本式経営と世界自動車産業』(汐文社[同時代叢書]、1981年)
- 『ニッポン丸はどこへ行く』(朝日新聞社、1982年)
- 改題増補『日本式経営の現場』(講談社[講談社文庫]、1987年)
- 『政労使秘団――組織と人脈』(汐文社[同時代叢書]、1983年)
- 『タカ派知識人――組織と人脈500人』(汐文社[同時代叢書]、1983年)
- 『改憲軍団――組織と人脈』(汐文社[同時代叢書]、1983年)
- 『ユニオンジャック――国家ぐるみの犯罪』(学習の友社、1984年)
- 『パソコン追跡勝共連合』(汐文社、1985年)
- 『ドキュメント 臨教審解体――教育支配の構造』(あけび書房、1986年)
- 『ドキュメント 中曽根ファミリー――政治支配の構造』(あけび書房、1986年)
- 『ニッポン空洞化――背信の大企業』(新日本出版社、1987年)
- 『金融大企業の背信――財テク・マジックをあばく』(新日本出版社、1988年)
- 『KKニッポン労連』(青木書店、1989年)
- 『ニッポン偽装労連』(青木書店、1989年)
- 『IBM欠陥パソコン――追跡ドキュメント』(新日本出版社、1990年)
- 『欠陥情報化社会――追跡ドキュメント』(新日本出版社、1991年)
- 『ルポルタージュ ゴミ――地球は大企業文明の墓場か』(新日本出版社、1992年)
- 『いつまでも食えると思うな――農業と食料・現場からの警告』(大月書店、1993年)
- 『トヨタ人間管理方式――効率経営の秘密』(イースト・プレス、1993年)
- 『大企業国家改造論』(大月書店、1994年)
- 『自然に学ぶ丹波山猿塾』(青木書店、1995年)
- 『やったぜ!わが家を自力建築――毒漬け住宅に住めるか』(汐文社、1997年)
- 『ゼロからの山里暮らし』(あすなろ社、1999年)
- 『山猿流自給自足』(創元社、2005年)
出典[編集]
その他の参考文献[編集]
- 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』(平凡社、1987年)
- 紀田順一郎ほか編『新現代日本執筆者大事典 第1巻(あ~お)』(日外アソシエーツ、1992年)
- 紀田順一郎ほか編『現代日本執筆者大事典 第4期 第1巻(あ~お)』(日外アソシエーツ、2003年)
- 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典 あ-せ』(日外アソシエーツ、2004年)
- 増田れい子「(書評)山猿流自給自足 青木慧著」『朝日新聞』2005年10月16日付朝刊13面(読書3)