内海洋一

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

内海 洋一(うつみ よういち、1919年4月24日 - 2009年5月5日)は、経済学者。大阪大学名誉教授。専攻は社会政策、社会思想。

経歴[編集]

兵庫県生まれ[1]旧制姫路高等学校文科乙類卒業[2]。卒業翌日の1940年3月3日に思想活動をした疑いで検挙され、懲役3年執行猶予5年の判決を受けた。在学中、学校の雑誌に反戦的なことやマルクス的なことを書いていたという。父の従兄弟で東京帝国大学戸田貞三教授に相談したところ、京都帝国大学高田保馬教授を紹介された。1942年4月京都帝国大学経済学部に入学し、高田の下で社会学・経済学を学ぶ。1944年9月京都帝国大学経済学部卒業[1]住友本社調査室に入る[3]。1945年3月召集を受け、満州に派遣。陸軍衛生二等兵として訓練中に敗戦を迎え、ソ連軍の捕虜となり、シベリアで強制労働に従事。復員後は住友化学参事室に勤務[1]。1950年4月大阪大学法経済学部(1953年より経済学部)助手[3]、1953年3月講師、1954年12月助教授[4]。1955年度まで平田隆夫教授の社会政策演習に参加[3]。1962年2月「賃金決定と社会関係」で経済学博士(大阪大学)[5]。1966年大阪大学経済学部教授。1983年停年退官、名誉教授。大阪学院大学教授・経済学部長[6]。1995年退職。

社会思想研究会理事(1966年5月〜)[7]民主社会主義研究会議(民社研)理事、関西労働文化教育研究所(関労研)理事(1969年~)、同第2代理事長(1986年~)[1]、社団法人日本文化フォーラム評議員、同関西支部役員[8]政策研究フォーラム顧問も務めた[9]

人物[編集]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『社会問題の基礎理論――階級と賃銀に関する研究』(有斐閣[大阪大学経済学部社会経済研究室研究叢書]、1958年)
  • 『唯物弁証法と唯物史観――解説と批判』(新教育懇話会[新教育懇話会叢書]、1961年)
  • 『社会思想案内』(新有堂、1977年)
  • 『経済社会学の主要問題』(新評論[経済社会学叢書]、1978年)

編著[編集]

  • 『労働経済の理論』(編、有信堂、1974年)
  • 『明日の日本と教育 4 テロ・革命思想および自由』(編、創文社、1981年)
  • 『地方大都市の社会病理――福岡市を対象として』(大橋薫共編著、垣内出版、1985年)
  • 『教養としての社会病理学』(田代栄二、伊江朝章、林雅孝共編著、学文社、1986年)
  • 『高齢者社会政策――老後のしあわせを保障するために』(編著、ミネルヴァ書房、1992年)
  • 『旧産炭地の都市問題――筑豊・飯塚市の場合』(平兮元章、大橋薫共編著、多賀出版、1998年)

訳書[編集]

  • ワルター・タイマー『ドイツ社会民主主義の歩み――ベーベルからオーレンハウアーまで』(社会思想研究会出版部[現代教養文庫]、1960年)
  • リチャード・B.フリーマン『労働経済学』(片上明共訳、東洋経済新報社[現代経済学叢書]、1974年)

出典[編集]

  1. a b c d e 内海洋一、堀江湛「関西における民主社会主義――熱気に満ちた学習意欲」『改革者』第41巻第12号(通巻485号)、2000年12月
  2. 財界評論新社編『旧制高等学校物語5』財界評論新社、1968年、620頁
  3. a b c 大阪大学経済学部編『大阪大学経済学部十年の歩み』大阪大学経済学部、1959年、63頁
  4. 『大阪大学二十五年誌』大阪大学、1956年、120頁
  5. CiNii 博士論文
  6. 大阪大学経済学部50年史編集委員会編『大阪大学経済学部50年史』大阪大学出版会、2003年、102頁
  7. 「昭和四一年度会員総会報告」『社会思想研究』第18巻第6号、1966年6月
  8. 「〈資料と解説〉「体制派文化人」の組織と人脈」『月刊社会党』第235号、1976年7月
  9. 『改革者』第35巻第7号(通巻411号)、1994年10月
  10. 内海洋一「『社会思想研究』誌よ、さようなら!」『社会思想研究』第24巻第3号、1972年3月
  11. 社会思想研究会編『社会思想研究会の歩み――唯一筋の路』社会思想社、1962年、58頁
  12. 音田正巳「想い出は昨日のごとくに」『社会思想研究』第24巻第3号、1972年3月
  13. 武藤光朗編『福祉国家論――北欧三国を巡って』社会思想社、1965年