漆山成美
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漆山 成美(うるしやま しげよし、1927年2月25日[1] - 1992年9月16日)は、外交評論家[2]。
経歴[編集]
横浜市生まれ[3]。山形県出身[4]。1952年東京大学文学部西洋史学科卒業。東京新聞社(のち中日新聞社)に入社。東京新聞編集委員、政治部長、論説委員等を歴任[3]。1972年京都産業大学外国学部(国際関係コース)教授。1990年東京家政学院筑波短期大学教授[5](国際政治学、国際関係論専攻)[4]。主著は『国際紛争と世論』(嵯峨野書院、1986年)[5]。
1972年民主社会主義研究会議(民社研)理事。同常務理事[4]、1987年4月号より『改革者』編集担当理事[6]。1973年防衛学会に参加、1985年理事、1989年常務理事。「ラジオ日本」レギュラー評議員[5]。『世界日報』論説委員[7]。言論人懇話会同人[8]。
1992年9月16日、腎不全のため埼玉県北足立郡伊奈町の埼玉県立がんセンターで死去、65歳[4]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『新聞論調への反論――自由・平和・人道を主張する「社説」の研究』(日新報道、1974年)
- 『時代のなかの私』(日本教文社、1976年)
- 『国際世論と外交』(嵯峨野書院、1980年)
- 『国際紛争と世論』(嵯峨野書院、1986年)
- 『幻想のチャイナ・カード――国際安全保障論』(振学出版[21世紀への道標]、発売:星雲社、1987年)
- 『現代の国際政治』(加藤秀治郎、林法隆補訂、芦書房、1994年)
共著[編集]
- 『中国の現実と日本の国益』(桑原寿二、林三郎、中村菊男、柴田穂、前田寿夫、小谷秀二郎、入江通雅共著、自由社[自由選書]、1971年)
- 『石油のなくなる日――資源小国日本の生きのびる道』(林三郎、村松剛、原豊、吉田忠雄共著、浪曼、1974年)
- 『新冷戦時代』(丹羽春喜共著、民主社会主義研究会議[民社研叢書]、1978年)
- 『日本教育会叢書 第17集』(加藤寛、外山滋比古共著、日本教育会、1990年)
- 『国際政治コミュニケーション』(加藤秀治郎共著、一藝社、2006年)
編著[編集]
- 『悲劇は始まっている』(編、高木書房、1972年)
出典[編集]
- ↑ 漆山成美、丹羽春喜『新冷戦時代』民主社会主義研究会議、1978年
- ↑ 漆山成美『時代のなかの私』日本教文社、1976年
- ↑ a b 漆山成美『国際紛争と世論』嵯峨野書院、1986年
- ↑ a b c d 「漆山成美氏を追悼する」『改革者』第33巻第8号(通巻388号)、1992年11月
- ↑ a b c 丹羽春喜「故漆山教授の御冥福を祈る」『新防衛論集』第20巻第3号(通巻79号)、1992年12月
- ↑ 佐藤寛行「民社研三十年小史(下)高く掲げた「民主社会主義」 「民社連」八年の実績の上に三十年」『改革者』第30巻第9号(通巻353号)、1989年12月
- ↑ 林田豊「調査レポート 統一協会『世界日報』のマスコミ戦略」『現代の眼』1978年11月号
- ↑ 『知識』第1巻第6号(通巻42号)、1985年6月