日本労働者教育協会

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日本労働者教育協会は、旧総同盟全労同盟系の労働者教育機関[1]。略称は日労教

概要[編集]

1951年3月2日に民主社会主義の立場に立つ労働教育機関として松岡駒吉三輪寿壮上條愛一を中心に設立された[2][3]。理事長に主唱者の松岡、常務理事に三輪と上條が就任した。事務所は参議院議員会館の上條の事務室に置かれ[4]東京神奈川新潟などで労働講座を開催した。衆議院議員だった松岡と三輪、参議院議員だった上條が政治活動に忙殺されたことと財政上の事情により、2年ほどで休止状態に陥った[5]

1956年9月に山名義鶴が中心となり、学界や全労を中心とする労働界の協力の下に再発足した[6][7]。理事長に山名義鶴、専務理事に上條愛一、顧問に松岡駒吉、蠟山政道森戸辰男八木秀次鮎沢巌新明正道北沢新次郎[5]賀川豊彦らが就任した[8]。理事に全労教宣部長の綿引伊好総同盟教宣部長の中島桂太郎全日本海員組合西巻敏雄など全労およびその構成産別と総同盟の代表、事務局長に会田甚作が就任した[5]。上條が1956年7月の参院選に落選したため、事務所は中労委会館港区芝田村町)の裏庭の倉庫の一室にあった社団法人日本生活問題研究所の事務所に同居した。1961年に中労委会館が新築された際に同会館の2階に移転した。その後、厚生省の中労委会館跡地への労働委員会会館の新築に伴い、1965年1月に麻布材木町(現・六本木)の海員ビル2階に移転した[4]。1967年2月に山名義鶴が死去し、後任理事長に上條愛一が就任した[注 1]。1969年2月に上條愛一が死去し、最後の理事長に斎藤勇が就任した[2][7]。その後、西新橋の第二森ビルの4階に移転した[5]

主な活動はチューター養成講座の開催、全労・総同盟(のち同盟)系組合・中立組合・総評系組合との共催による労働講座の開催、機関誌『労働と教育』(1957年2月創刊[10])の発行[5]。1956年秋に八木秀次を学院長とする日本労働学院を創設し、長期講座の中央講座と合宿形式の地方講座を開催した[7]。1957年8月に全労との共催もしくは後援の形で合宿形式の労働講座を開設した[7]。学院の地方労働講座は全労との共催の労働講座に席を譲り[7]、日労協の講座は短期講座が中心となり、日本労働学院という学校構想は有名無実となった[11]。1961年秋にチューター養成講座を開設し、1971年9月までに1,008名が受講した[7][注 2]。チューター養成講座は「思想」と「経済」に重点を置き、大島康正迫間真治郎原豊加藤寛らが講師を務めた[7][5]。1963年6月に全国民主化運動連絡会(全国民連)が日労協に一括加盟し、協働して活動した[7]

日労教が民主社会主義の教育を担当したのに対し、民主社会主義研究会議(民社研)が思想面を担当した[12]。日労教は日本婦人教室の会(日婦教室)、民社研、民主社会主義青年連合(民社青連)など他の民社系団体と「全国婦人の集い」を共催したり[13]全国勤労者文化協会(全文協)、民社青連、日婦教室、全労青婦などと「よび合うこだま運動実行委員会」を設置したりもした[14]

1972年6月6日に富士社会教育センターに吸収合併され[7]、解散した[8][注 3]。1973年1月に日本労働者教育協会の後身として労働問題懇話会が発足した[15]

役員・講師[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 『上条愛一・その人と歩み』の略年譜によれば、1966年5月に山名理事長の死去により、上條が後任理事長に就任した[9]
  2. 脇田由郎によれば、1962年春に開設された[5]
  3. 脇田由郎によれば、1973年秋に解散した[5]

出典[編集]

  1. 高橋佐門『日本の労働教育――労働と文化の谷間』評言社、1972年、244頁
  2. a b c 「〈友誼団体の紹介〉日本労働者教育協会(日労教)」『海員』第21巻第9号(通巻241号)、1969年9月
  3. 三輪寿壮伝記刊行会編『三輪寿壮の生涯』三輪寿壮伝記刊行会、1966年、244頁
  4. a b 上条愛一「中労委会館の思い出」『中央労働時報』第423号、1965年4月
  5. a b c d e f g h i j 脇田由郎「教宣人生雑記-12-」『同盟』第249号、1979年4月
  6. 橋本八男「日労教と上條さん」『上条愛一・その人と歩み』『上条愛一・その人と歩み』刊行会、1969年、123-124頁
  7. a b c d e f g h i 小林吉作「日労教二十二年の足跡」『改革者』第151号、1972年10月
  8. a b 山口義男「芝園橋界わい(15)素晴らしき指導者たち(その2)」『改革者』第41巻第12号(通巻485号)、2000年12月
  9. 『上条愛一・その人と歩み』『上条愛一・その人と歩み』刊行会、1969年、205頁
  10. 『山名義鶴の記録』山名義鶴の記録刊行会、1968年、117頁
  11. 橋本八男「日労教と上條さん」『上条愛一・その人と歩み』『上条愛一・その人と歩み』刊行会、1969年、126-167頁
  12. a b 西真達『総評への挑戦――その矛盾した行動への警鐘』経済界、1966年、309頁
  13. 「ことしの婦人週間」『月刊婦人展望』第140号、1966年5月
  14. 間宮悠紀雄「労働組合と文化活動」『改革者』第37巻第2号(通巻427号)、1996年2月
  15. 米田重三「民主労働教育会議の発足にあたって――広範な教育通じ豊かな人間性の建設をめざす」『同盟』第238号、1978年5月
  16. 西真達『総評への挑戦――その矛盾した行動への警鐘』経済界、1966年、300頁
  17. 大島康正「回想・労働者教育」『革新』第56号、1975年3月