稲葉秀三

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稲葉 秀三(いなば ひでぞう、1907年4月9日 - 1996年4月17日)は、経済評論家。産業経済新聞社社長。

経歴[編集]

京都市東山区生まれ。京都市立粟田尋常小学校、京都府立第一中学校、旧制松山高等学校文科を経て[1]京都帝国大学文学部哲学科で学ぶ。1930年左翼組織に関係して逮捕・留置を経験[2]。1931年京都帝国大学文学部哲学科卒[3]東京帝国大学経済学部に学士入学。田沢義鋪の紹介を得て、1932年に財団法人協調会の嘱託となり[2][4]埼玉県川口町(現・川口市)で中小鋳物業の実態調査や実地指導に従事。1934年東京帝国大学経済学部卒[3]。協調会の正規の職員となり[2]ドイツなどヨーロッパの一般労働問題の研究に従事[3]

吉田茂に引き抜きかれ[2]、 1937年5月企画庁に高等官待遇の嘱託として入る[3]。同年10月企画庁と資源局が統合し企画院が発足。1938年2月企画院の正式の調査官となり、物資動員計画の策定に従事[1]。この間、昭和研究会の労働問題研究会、政治動向研究会、経済情勢研究会に参加[2]。1940年5月、後に「応急物動計画」と呼ばれる作業に取り組むよう極秘の命令を受け、米英およびソ連と戦争をした場合の国力の推移を計算し、星野直樹総裁や陸海軍にとって予想以上に悲観的な結果を報告した。1941年1月企画院事件に連座し、治安維持法違反容疑で逮捕・勾留。1943年2月に保釈され、1944年1月に代用ドラム缶製造会社の国際化学工業所に嘱託として入社。後に退社し、科学動員公団に嘱託として入り、敗戦時は総務部次長のポストにあった。敗戦後に企画院事件の裁判で無罪判決を受けた[3]

1944年半ばから戦時経済に関する資料や統計の収集に取り組み[1]、敗戦後は旧海軍整理機関、農林省内閣審議室から援助を受け、1945年12月1日に財団法人国民経済研究協会を設立[5]。常務理事に稲葉と正木千冬、理事に岡崎文勲が就任した[6]。1945年暮に外務省調査局第三課の特別調査委員会の一員、1946年11月に吉田茂首相の私的諮問機関「石炭小委員会」(委員長・有沢広巳)の一員となった。1946年春頃から「五月危機説」や「七月危機説」を唱え、石炭増産の必要性を主張した。企画院時代からつながりのある和田博雄農相を通して吉田首相に提案し、それが結果的に石炭小委員会の設置、傾斜生産方式の理論と実行策につながったとされる。1946年8月経済安定本部の発足時に兼任部員となった[3]。1947年2月に和田を国民経済研究協会の会長に迎え、これに前後して協会の理事長に就任した[5]。1947年6月片山内閣の経済安定本部官房次長となり、経済緊急対策や経済復興計画の策定に従事。都留重人総合調整委員会副委員長、山本高行官房長とともに「安本の三羽ガラス」と呼ばれた。1948年5月経済安定本部参与兼経済安定本部経済復興計画委員会事務局長。1949年辞任[3]

1960年に池田勇人首相が所得倍増計画策定の過程で経済審議会に3つの部会をつくり、その内の政府公共部門部会の部会長となった[7]。1961年6月国民経済研究協会会長。1961年12月〜1964年サンケイ新聞常務取締役、論説主幹。1962年6月〜1968年日本工業新聞社社長(兼務)[8][9]。1962年財団法人経済調査会会長[10]。1964年11月サンケイ新聞副社長、1965年12月〜1968年社長[11][9]。1968年財団法人日本経営情報開発協会(現・一般財団法人日本情報経済社会推進協会)を設立[9]、1970年理事長[10]。1986〜1993年に社団法人社会経済国民会議議長を務め[12]食管制度廃止などを提言[13]。1987年日本エネルギー経済研究所会長[14]

人物[編集]

いわゆる「革新官僚」の1人。戦後は片山内閣の経済安定本部官房次長として、企画院事件に連座した仲間である和田博雄長官を支えた。稲葉と同じく協調会から企画院に入り、企画院事件に連座し、戦後は経済安定本部に入った人物に勝間田清一日本社会党委員長)がいる[2]。その後、芦田池田佐藤福田の各内閣で経済ブレーンを務めた[9]。池田内閣で宏池会に集まった星野直樹高橋亀吉、稲葉秀三、伊原隆平田敬一郎下村治櫛田光男の7人の経済ブレーンは、日本自由党三木武吉河野一郎らの七人衆にちなんで「七人の侍」と呼ばれた[15]民社党結党時の政策づくりや実現しなかった社会党河上派の新党構想にも協力している[16]

役職[編集]

※「経歴」に記載したものを除く。

政府機関・審議会[編集]

  • 経済審議会委員
  • 産業構造審議会委員
  • 税制調査会委員
  • 金融制度調査会委員
  • 産業構造審議会委員
  • 繊維工業審議会委員
  • 最低賃金審議会委員
  • 石炭鉱業審議会委員
  • 石油審議会委員
  • 航空審議会委員
  • 中小企業政策審議会委員[11]
  • 原子力委員会委員(1973年11月〜)[24]、新型動力炉部会長[25]
  • エネルギー審議会会長
  • 情報審議会会長[26]
  • 第5期行政監理委員会委員(1978年4月〜1981年3月)[27]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『賃金はいかにきめられているか――その基礎資料と解説』(時事通信社、1948年)
  • 『日本経済の現実 1950』(時事通信社、1950年)
  • 『世界経済行脚――外から見た日本』(時事通信社、1953年)
  • 『日本経済の動き――経済再建の実態を衝く』(東海産業経済調査所、1955年)
  • 『経済通論』(有信堂[労働大学通信講座]、1957年)
  • 『アメリカのマーケッティング』(時事通信社[時事新書]、1957年)
  • 『世界経済と日本』(宝文館、1957年)
  • 『日本経済論』(有信堂[講座新しい経営と労働]、1960年)
  • 『日本経済の曲り角』(白凰社、1961年)
  • 『激動30年の日本経済――私の経済体験記』(実業之日本社、1965年)
  • 『経営対談』(日本工業新聞社出版部編著、日本工業新聞社、1966年)
  • 『日本の空港整備のあり方について』(航空政策研究会[航研シリーズ]、1972年)
  • 『関西新国際空港建設に関する答申について』(航空政策研究会[航研シリーズ]、1974年)
  • 『第三次空港整備五箇年計画について』(航空政策研究会[航研シリーズ]、1976年)
  • 『航空のきょう・あす――航空部門の施設整備を中心に』(航空政策研究会[航研シリーズ]、1979年)
  • 『転換に立つわが国の空港整備――空港制度の改革を提言する』(航空政策研究会[航研シリーズ]、1981年)
  • 『警告!政治後進国日本』(言論人会議、発売:コンピュータ・エージ社、1983年)

共著[編集]

  • 『日本の産業と雇用問題』(真島毅夫共著、日本労働協会[JIL文庫]、1961年)
  • 『日本の空運の現状と将来』(堀武夫共著、航空政策研究会[航研シリーズ]、1966年)
  • 『日米繊維交渉――"経済戦争"の展開とその教訓』(生田豊朗共著、金融財政事情研究会、1970年)

編著[編集]

  • 『新らしい景気予測――経済統計の見方・使い方』(向坂正男共編著、日本評論新社、1957年)
  • 『現代日本経済論――有沢広巳先生還暦記念』(相原茂共編、至誠堂、1958年)
  • 『社会改革への提言――日本フェビアン研究所10周年記念』(有沢広巳、都留重人、高橋正雄共編、勁草書房、1960年)
  • 『エネルギー政策の新展開――欧州の実態と日本の問題点』(土屋清共編、ダイヤモンド社、1961年)
  • 『成功のコツ』(編著、日本工業新聞社、1963年)
  • 『アイデアに生きる』(編、日本工業新聞社出版部、1964年)
  • 『資本自由化と独占禁止法』(坂根哲夫共編、至誠堂、1967年)
  • 『産業再編成と企業経営』(矢野誠也共編、ダイヤモンド社、1967年)
  • 『西欧の選択――革新への2大潮流』(編、日本生産性本部、1976年)
  • 『日本からみたソ連経済改革への提言』(堤清二共編、日本経済新聞社、1991年)

訳書[編集]

  • ドナルド・F.ブランカーツ、ロバート・ファーバー、ヒュージ・G.ウェールス『マーケッティング・リサーチ――事例と問題』(日本経済新聞社、1957年)
  • ウイリアム・シュルツ『マーケティング読本』(時事通信社[時事新書]、1958年)
  • エドワード・C.バースク『経営能率の向上』(松木勇共訳、時事通信社[時事新書]、1959年)
  • ナサニエル・キャンター『経営者読本』(松木勇共訳、時事通信社[時事新書]、1959年)
  • ウィルフレッド・オーエン『現代の都市交通――問題点とその対策』(小泉信一共訳、丸善、1960年)
  • W.バッキンガム『第三の技術革新――現代を変えるオートメ化の再評価』(監訳、ダイヤモンド社、1964年)

出典[編集]

  1. a b c 歴史資料館 財団法人国民経済研究協会
  2. a b c d e f 高橋彦博「新官僚・革新官僚と社会派官僚 : 協調会分析の一視角として」『社会労働研究』第43巻第1・2号、1996年11月
  3. a b c d e f g h 稲葉秀三『激動30年の日本経済――私の経済体験記』実業之日本社、1965年
  4. 有馬学「戦時労働政策の思想 : 昭和研究会労働問題研究会を中心に」『史淵』第120輯、1983年3月
  5. a b 国民経済研究協会編『戦後日本経済の諸問題――創立10周年記念』国民経済研究協会、1955年
  6. 沿革 財団法人国民経済研究協会
  7. 大来佐武郎『日本経済の将来』有紀書房、1961年
  8. 稲葉秀三編『アイデアに生きる』日本工業新聞社出版部、1964年
  9. a b c d e 稲葉秀三『警告!政治後進国日本』コンピュータ・エージ社、1983年
  10. a b 稲葉秀三「日本のエネルギー問題――環境問題と関連して(講演要旨)」『経済人』第26巻第9号(通巻300号)、1972年9月
  11. a b 稲葉秀三『経営対談』日本工業新聞社、1966年
  12. 日本生産性本部とは 公益財団法人日本生産性本部
  13. デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲葉秀三」の解説 コトバンク
  14. 20世紀日本人名事典 「稲葉 秀三」の解説 コトバンク
  15. 土師二三生『人間池田勇人』講談社、1967年
  16. 稲葉秀三「一九八〇年代の政治と政治家のあり方」『再建 : 日本自由党中央機関誌』第34巻第2号、1980年3月
  17. 『社会主義』創刊号 労働者運動資料室
  18. 稲葉秀三『世界経済と日本』宝文館、1957年
  19. 中村勝範「中村菊男・人と思想(十五)」『改革者』第20巻第4号(通巻232号)、1979年7月
  20. 佐藤寛行「民社研三十年小史――高く掲げた「民主社会主義」――「民社連」八年の実績の上に三十年」『改革者』第30巻第8号(通巻352号)、1989年11月
  21. 稲葉秀三編『西欧の選択――革新への2大潮流』日本生産性本部、1976年
  22. 田中勝之「独占資本のための行財政再編成」『社会主義』1987年9月号
  23. 日本GIF研究財団の設立PDF日本GIF研究財団
  24. 原子力委員会委員に稲葉秀三氏就任 原子力委員会月報11月号(第18巻第11号)
  25. 稲葉秀三・原子力委員会新型動力炉部会長「原子力問題」 日本記者クラブ
  26. 叶芳和「在野のエコノミスト 稲葉秀三 アカデミーに身を置かず国家社会に尽くす」農業ビジネス、2021年2月25日
  27. 行政管理庁史編集委員会編『行政管理庁史』行政管理庁、1984年

関連文献[編集]

  • 蝦名賢造『稲葉秀三――激動の日本経済とともに60年』(西田書店、1992年)