友愛会館 (1964年築)
友愛会館(ゆうあいかいかん)は、東京都港区芝2-20-12にあった地上9階地下2階建の高層ビル。1964年12月竣工。2009年~2010年に解体された。運営者は株式会社友愛会館。全日本労働総同盟(同盟)の本部が置かれていた。
建設の経緯[編集]
前身は1894年に米国ユニテリアン協会が建設したユニテリアン教会・惟一館(ジョサイア・コンドル設計)。惟一館で1898年に安部磯雄・村井知至らが日本初の社会主義研究団体である社会主義研究会を結成[1]、1901年に片山潜・安部磯雄らが日本初の無産政党である社会民主党の結党を準備[2]、1912年に鈴木文治らが日本労働運動の源流といわれる友愛会を結成したため、この場所は「日本社会主義運動の発祥の地」「日本労働運動の発祥の地」と言われている[1]。
1930年8月に総同盟が惟一館の土地建物を買収し、翌年8月に惟一館を改装して日本労働会館とした。この会館の維持、管理、運営のために財団法人日本労働会館が設立された[3]。1936年6月日本労働会館の北隣に青雲荘アパート・友愛病院(山口文像設計)が建設された。1945年5月米軍の空襲で日本労働会館、青雲荘・友愛病院は焼失。1949年7月日本労働会館の跡地に総同盟会館・全繊同盟会館(山口文像設計)が建設された[4]。一部が焼け残った旧友愛病院の建物は1946年から1963年まで芝園橋食堂として利用された[5]。友愛会館建設後に解体されて駐車場となり、1977年駐車場跡地にホテル三田会館が建設された[4]。
1964年12月総同盟会館・全繊同盟会館が取り壊され、地上9階地下2階建の友愛会館が建設された。設計は大阪建築事務所[4]。会館名は鈴木文治が結成した友愛会にちなむ[6]。
運営[編集]
友愛会館は株式会社友愛会館が運営し[7]、同盟(1964年~1987年)や同盟傘下の産別本部が入居した[8]。株式会社友愛会館は貸会議室の運営も行い、1階と9階の会議室を一般企業にも貸し出した[7]。「会議室、ホテル、結婚式場、レストランなどを持つ一大福利厚生センター」になっていたとされ[4]、オフィスと会議室以外は財団法人日本労働会館が運営していたと思われる。ブログ「友愛労働歴史館の解説員便り」は、株式会社友愛会館と財団法人日本労働会館に分かれている理由を次のように説明している。
ところでなぜ営利を目的とする株式会社・友愛会館と、公益を追求する社団法人・日本労働会館という二本立ての経営が行われてきたのか、今でははっきりしません。しかし、友愛会館も三田会館も、その役員は何れもJAMを中心とする労働組合出身者が占めていますので、実態は同じようなものといえます。経営上の問題から営利事業と公益事業を使い分けてきたのでしょう。 — 「日本労働会館物語」第2回 友愛労働歴史館の解説員便り(2010年3月16日)
解体[編集]
2009年老朽化のため建て替えられることになり、6階の友愛労働歴史館と隣接するホテル三田会館が休業に入った[6]。この頃の友愛会館にはJAM・印刷労連・交通労連・建設連合・UIゼンセン同盟東京都支部などの労働組合、政策研究フォーラム・核禁会議・ユーアイネットなどの友誼団体が入居しており、建て替え工事中は港区芝4-8-2の興和三田ビルに一時移転した[7]。2010年までに解体され[9]、2012年1月に友愛会館とホテル三田会館は一つの建物に建て替えられた。新築後については「友愛会館」を参照。
出典[編集]
- ↑ a b 友愛労働歴史館 友愛労働歴史館
- ↑ 友愛会誕生の地、ユニテリアン教会・惟一館建設から126年(明治27年3月25日)! 友愛労働歴史館(2020年3月24日)
- ↑ トップページ 日本労働会館
- ↑ a b c d 伊達美徳「日本労働運動の拠点の120年:J.コンドルの和風建築と山口文象のモダン建築の出会い」まちもり通信YB版
- ↑ 渡辺悦次『財団法人日本労働会館60年史』日本労働会館、1991年。伊達美徳「1949総同盟会館・全繊同盟会館」まちもり通信YB版 から閲覧。
- ↑ a b 「労働友愛歴史館」が建て替えのため休館-2012年8月再開予定 品川経済新聞(2009年8月18日)
- ↑ a b c 「日本労働会館物語」第2回 友愛労働歴史館の解説員便り(2010年3月16日)
- ↑ ユニテリアン教会・惟一館、日本労働会館について 友愛労働歴史館の解説員便り(2008年1月24日)
- ↑ 友愛会館(事務所) 東京都環境局 - 建築物環境計画書制度