遠藤欣之助

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

遠藤 欣之助(えんどう きんのすけ、1936年 - 2012年8月[1])は、政治評論家。遠藤浩一の叔父[2]

経歴[編集]

山梨県生まれ。明治大学卒業。1954年社会思想研究会(社思研)に入会し、1960年まで事務局員。1960年民主社会党(民社党)、民主社会主義研究会議(民社研)の結成に参加[3]。1960年民社研事務局員[4]。『改革者』編集長、民社研労働学校主事などを務め、同盟中央講師団にも参加した[3]関嘉彦によると、関が『改革者』の編集権や勤務態度の問題で辞表の提出を求め、間もなく遠藤は民社研を辞めて国政選挙に立候補した[5]

1975年民社中小企業政治連合(民中連)事務局長を経て、民社党中央委員[3]春日一幸秘書役を経て[6]、1994年12月から民主党松沢成文衆議院議員の政策担当秘書[7]。2002年3月に退職し、政治評論活動に戻る[6]

創価学会公明党を厳しく批判し、1969年の言論出版妨害事件の際には自ら中心となって抗議集会を開催した[2]。1974年第10回参議院議員通常選挙、1976年第34回衆議院議員総選挙、1981年東京都議会議員選挙、1983年第13回参議院議員選挙、1986年第14回参議院議員選挙に立候補したが落選した。

著書[編集]

  • 『民主社会主義のてびき――はじめて学ぶ人のために』(吉田忠雄共著、民主社会主義研究会議学習ライブラリー]、1963年)
  • 『創価学会=公明党と民社党』(現代史研究所、1965年)
  • 『公明党の虚像と実像――創価学会=公明党批判』(和田春生上条末夫共著、民主社会主義研究会議[学習ライブラリー]、1968年)
  • 『自由に賭ける革新思想――民主社会主義入門』(根っこ文庫太陽社、1972年)
  • 『改革者西尾末広――自由に生きる真の革新』(根っこ文庫太陽社、1972年)
  • 『日本の民主社会主義のルーツ』(新有堂、1982年)
  • 『評伝河合栄治郎――不撓不屈の思想家』(毎日ワンズ、2004年)
  • 『創価学会=公明党が政権の"オーナー"でいいのか――『政党・マスコミ』は沈黙していてはいけない』(日新報道、2005年)

出典[編集]

  1. 「飯能市のこと」「わが家の誕生日会」「反省と決意」「時代の節目を激しく生きた人」「これからも動物愛護を」 ( 政党、団体 ) ジャスト庶民派!参議院議員 山根隆治(やまねりゅうじ) ブログ - Yahoo!ブログ(2012年8月30日)
  2. a b 【報告と動画】第一回「民主社会主義学習会」 講師 中村信一郎氏 一般社団法人アジア自由民主連帯協議会(2016年2月22日)
  3. a b c 評伝河合栄治郎 / 遠藤 欣之助【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
  4. 遠藤欣之助「思想の先駆者〈二の②〉民社研発足――知的リーダー蠟山政道」『改革者』第34巻第6号(398号)、1993年9月
  5. 関嘉彦「回想録――私と民主社会主義(第十二回)民社研議長として」『改革者』第38巻第12号(通巻449号)、1997年12月
  6. a b 遠藤欣之助「懐かしの春日節が鳴り響いた幻の「民社会館」顛末記」『正論』2003年11月号
  7. 神奈川新聞社編集局報道部編著『知事誕生』神奈川新聞社、2003年、28-29頁