大島康正
大島 康正(おおしま やすまさ、1917年3月2日 - 1989年12月20日)は、倫理学者。筑波大学名誉教授。
経歴・人物[編集]
東京生まれ。1940年京都帝国大学哲学科卒。1946年京都大学講師[1]、1951年東京文理科大学教授[2]、1953年東京教育大学教授、1976年筑波大学教授[1]。のち筑波大学名誉教授、京都産業大学教授、同大学世界問題研究所長[3]。1953年「実存倫理の歴史的境位 : 神人と人神」で文学博士(東京大学)[4]。1956年日本学術会議第四期会員。
田辺元の愛弟子で、哲学者としての主著に『時代区分の成立根拠』(筑摩書房、1949年)、『実存倫理の歴史的境位――神人と人神』(創文社、1956年)の2作がある[2]。
1960年11月に関嘉彦、岡田謙、松本三之介、野田福雄、石川忠雄、ジェームズ・スチュアート(アジア財団東京事務所長)と日本社会思想研究所を創設し、英文季刊雑誌『Journal of Social and Political Ideas in Japan』[5]の編集委員の1人となった。その関係からか、民主社会主義研究会議(民社研)の理事にも就任した[6]。1961年4月民社党内に綱領審議委員会が設置され、猪木正道、木下和夫、関嘉彦、中村菊男、野田福雄、武藤光朗、和田耕作とともに諮問委員に委嘱された[7]。日本労働者教育協会(日労教)のチューター養成講座の「思想」の講師[8]、民社研労働学校講師、富士政治大学校講師・同通信教育協会理事も務めた[9]。
60年代に日本文化フォーラムに参加[10]。1968年6月日本文化会議発起人、理事[11]。1981年10月日本を守る国民会議発起人。1982年3月日米安保改定百人委員会呼びかけ人[9]。1981年11月に岸信介元首相が設立した「時代を刷新する会」の会員[3]。世界平和教授アカデミー会員[9]。
出典[編集]
- ↑ a b 20世紀日本人名事典の解説 コトバンク
- ↑ a b 大橋良介『京都学派と日本海軍――新史料「大島メモ」をめぐって』PHP新書、2001年
- ↑ a b 青木慧『タカ派知識人――組織と人脈五〇〇人』汐文社、1983年
- ↑ CiNii 博士論文 - 実存倫理の歴史的境位 : 神人と人神
- ↑ 関嘉彦「回想録――私と民主社会主義(第九回)国際的文化交流とのかかわり」『改革者』第38巻第9号(通巻446号)、1997年9月
- ↑ 関嘉彦「大島康正さんを悼む」『改革者』第30巻第11号(通巻355号)、1990年2月
- ↑ 佐藤寛行「政党綱領物語(5)民社党篇(中)"最小限の自衛措置"が論議の的」『改革者』第189号、1975年12月
- ↑ 大島康正「回想・労働者教育」『革新』第56号、1975年3月
- ↑ a b c 青木慧『改憲軍団――組織と人脈』汐文社、1983年
- ↑ 「表現の自由」研究会編著『現代マスコミ人物事典』二十一世紀書院、1989年、447頁
- ↑ 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1969年版』日本社会党機関紙局、1969年、854-855頁
関連文献[編集]
- 粕谷一希『戦後思潮――知識人たちの肖像』(日本経済新聞社、1991年/藤原書店、2008年)