日本労働教育センター
日本労働教育センターは、労働組合役員・組合員向けの通信教育団体[1]。旧民社・同盟系の教育機関[2]。略称は労教センター[3]、JALEC[1]。
概要[編集]
1974年2月に「民主的労働運動の理解をさらに深めるための通信教育」として設立された[3]。藤田至孝によれば、1970年に大河内一男、慶谷淑夫、藤田至孝の3人が主になって設立した[4]。日本都市センターによれば、1974年2月23日に日本都市センター会館の会議室で創立された[5]。「産業民主主義の確立」「民主的労働運動の展開」のため「労働組合のリーダーの養成」(大河内一男会長「受講のおすすめ」)をうたっている[6]。1978年までに同盟構成組織を主体に1万5千人が通信教育を受講した[3]。組合ノートの出版、視聴覚(スライド)教材の開発などの活動も行っている[3]。
1978年3月に民主社会主義研究会議、全国文化運動協会、富士社会教育センター、労働問題懇話会、民社党教宣局、同盟教育局とともに民主的労働運動・民主社会主義の教育活動に携わる団体の連携機関として民主労働教育会議を設立した[3]。これらの研究教育機関は民社・同盟系の団体であるが、総評・中立労連内部の「民主化運動」の中心となってきた人物も加わっている[7]。『人事・労務・教育・厚生情報便利事典』は日本労働教育センターを「同盟、中立労連、金属労協系の労働組合と学識者が協力」と紹介している[1]。日本労働教育センターの役員は日本生産性本部、社会経済国民会議、民主社会主義研究会議、富士政治大学校などの役員と重なりがある[8]。重枝琢巳(同盟顧問、民社研理事、労働問題懇話会代表幹事)は日本労働教育センター指導委員を務めた。本田四郎(富士政治大学校西部本校総主事、ゼンセン同盟友愛の丘総主事)は日本労働教育センター指導員を務めた[9]。
1990年の連合の構成組織を対象としたアンケート調査(構成組織81組織のうち58組織が回答)によれば、26組織が「提携・関係している教育機関・団体」があると答え、内訳は日本労働協会1、日本生産性本部2、社会経済国民会議2、現代総研1、日本労働教育センター5、富士社会教育センター13、全文協5、日教研1、民社研2、産業労働調査所2、日本ジャーナリスト協会3、産業労働情報開発センター1、日本労働研究機構1、レジャー・サービス産業労働情報開発センター1だった。日本労働教育センターと答えたのは、電力総連、鉄鋼労連、造船重機労連、化学総連、建設同盟の5組織だった[10]。
情報労連リポート1997年11月号に平田攻が日本労働教育センター理事の肩書きで寄稿しており[11]、1997年時点でも存在していた。
役員[編集]
1982年時点[8]。
会長:大河内一男
理事:宇佐美忠信、加藤寛、慶谷淑夫、関嘉彦、竪山利文、津田真澂、中村卓彦、藤田至孝、宮田義二、加茂大造、平田攻
1987年刊行の『人事・労務・教育・厚生情報便利事典』によれば、代表は慶谷淑夫[1]。
事務所[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c d e 『人事・労務・教育・厚生情報便利事典 改訂新版』労務行政研究所、1987年、96頁
- ↑ 竹林清「戦略的視点を明確にした体系的労働者教育の必要性」『社会主義』第124号、1976年12月
- ↑ a b c d e 米田重三「民主労働教育会議の発足にあたって――広範な教育通じ豊かな人間性の建設をめざす」『同盟』第238号、1978年5月
- ↑ 藤田至孝「水準高い同盟の調査研究」『どうめい』第351号、1987年10月
- ↑ 『日本都市センター――その15年の歩み』日本都市センター、1976年、432-433頁
- ↑ 青木慧『ニッポン丸はどこへ行く』朝日新聞社、1982年、242頁
- ↑ 青木慧『ニッポン丸はどこへ行く』朝日新聞社、1982年、240頁
- ↑ a b 青木慧『政労使秘団――組織と人脈』汐文社、1983年、185-186頁
- ↑ 青木慧『政労使秘団――組織と人脈』汐文社、1983年、173頁
- ↑ 『れんごう政策資料』第12号、1990年6月
- ↑ 平田攻「人生の夢とロマンを語る人こそ」『Report』第15巻第1号(通巻207号)、1997年10月