民主社会主義
民主社会主義(みんしゅしゃかいしゅぎ、英語:Democratic socialism、ドイツ語:Demokratische Sozialismus)は、広義には政治的民主主義や経済的民主主義を重視する社会主義。共産主義から社会民主主義に属するものまで幅広く存在する。市場社会主義、リバタリアン社会主義、ユーロコミュニズムなどに対して使われ、マルクス・レーニン主義と対比されることが多い。狭義には社会民主主義の別名。日本では社会民主主義右派勢力がマルクス主義に立脚する社会民主主義と区別して民主社会主義を自称した。ヨーロッパでは70年代以降、社会民主主義左派や急進左派勢力が民主社会主義を自称するようになり、これらの思想や運動を中道左派の社会民主主義と区別して民主社会主義と呼称した。民主的社会主義、民主主義的社会主義とも。
社会民主主義[編集]
西欧の社民勢力は社会民主主義を自称することは少なく、社会主義もしくは民主社会主義を自称することが多い[1]。第二次世界大戦後に共産主義とファシズムを同種とみなす全体主義論が西欧の社民勢力の間で受容され、共産主義に対抗して民主主義が強調されるようになった[2]。その結果、従来の「社会民主主義」という言葉の「社会」と「民主」の順番を入れ替えた「民主社会主義」という言葉が積極的に使用されるようになった[3]。イギリス労働党やドイツ社会民主党が民主社会主義を唱道し[2]、1951年に社会主義インターナショナルが採択した「民主社会主義の目的と任務」(フランクフルト宣言)や1959年にドイツ社会民主党が採択した「ゴーデスベルク綱領」で民主社会主義という言葉が普及した[4]。
日本の民主社会主義[編集]
民主社会主義という言葉を日本で初めて使用したのは社会思想研究会(社思研)であるとされる[5]。猪木正道は『社会思想研究会月報』第3号(1948年11月)に「戦闘的民主社会主義」という題の巻頭言を書き[6]、「従来の社会民主主義には二つの致命的欠陥がある。一つはマルクス主義に執着し、マルクス、エンゲルスに恋々として階級闘争主義に媚態を呈した。もう一つは戦闘性がない。日本の労働運動を共産主義とファシズムの軌道から救い得るものは、社思研綱領に掲げた指導原理――これを仮に戦闘的民主社会主義と呼ぼう――以外にはないと信ずる」と記した[5]。1951年10月の日本社会党分裂以後、右派社会党が左派社会党のマルクス主義に立脚する社会民主主義との相違を強調するため、民主社会主義を唱えた[5]。社会主義インター創立と社会党分裂を受け、1951年12月に民主社会主義連盟(民社連)が結成され[5]、1953年12月に「民主社会主義綱領」、1955年5月に「統一社会党綱領草案」(右社綱領草案)を作成した[7]。1960年1月に社会党を離脱した西尾末廣を中心に民社党が結成され、民主社会主義を基本理念とした。同時に民社連が発展的に解消し、民主社会主義研究会議(民社研)が結成された。民社研の準備委員のほぼ全員が社思研の会員であり、1960年4月に社思研は団体会員として民社研に加入した[8]。
- 主な人物
左翼の民主社会主義[編集]
日本では社会民主主義右派が民主社会主義を名乗ったが、ヨーロッパでは逆に左派が民主社会主義、右派が社会民主主義を名乗るようになった。堀江湛によると、ドイツでは「七〇年代以降、社会民主党の内部では、民主社会主義というのは、政権をとったSPDの政策を新左翼の立場あるいはエコロジストの立場から批判するという」ものという理解が広がった[9]。加藤秀治郎によると、SPDは「ゴーデスベルク綱領」で民主社会主義を標榜したにもかかわらず、現実主義路線を印象づけようとしていた1969年頃まで民主社会主義という言葉の使用を控えていた。1972年に党首で首相のブラントが「民主社会主義者の任務」と題する演説を行ったときには、民主社会主義が進歩的な響きを持つようになっていったため、演題に大きな反響が出た。ブラントの後を継いで首相となった右派のシュミットは民主社会主義という言葉を使用しなかった[4]。シュミット首相に不満を持つ党内左派、特に1968年世代の活動家は民主社会主義という言葉を多用して活動を展開した[10][4]。1977年にSPDの右派が分裂して「社会民主同盟」、1982年に左派が分裂して「民主社会主義者」という政党をそれぞれ結成した[4]。イギリスでは1981年に労働党の左傾化に反発した右派が分裂して「社会民主党」を結成した。中心人物のデイヴィッド・オーウェン、ウィリアム・ロジャーズ、シャーリー・ウィリアムズは離党前の記者会見で「民主社会主義の哲学と価値観を共有しない人々とは妥協の余地がない」と述べていたが、「長らく「社会主義」のラベルを拒否し続けていた」ロイ・ジェンキンスを中心に「中道的なスタンスを強調するには「社会民主主義」の方が良い」としてこの党名になった[4]。
東欧革命・ソ連崩壊後、各国共産党の中には共産主義を放棄して民主的社会主義政党に転換したり、民主的社会主義に基づく政党連合の一員になったりした政党がある[11]。ドイツ社会主義統一党は民主社会党に、スウェーデン共産党は左翼党に改称して民主的社会主義政党に転換した。2007年に民主社会党は社会民主党を離脱した左派と合流して左翼党を結成した。スペイン共産党は統一左翼という政党連合を結成し、2016年に統一左翼はウニダス・ポデモスという選挙連合を結成した。
2008年の金融危機以降、ヨーロッパ各国の社会民主主義政党が支持率を大きく低下させ、排外主義を掲げる極右政党と反緊縮を掲げる急進左派(ラディカル左翼)勢力が台頭した。二宮元によると、新自由主義政治の展開に応じて、新自由主義への対抗運動は労働運動→グローバル・ジャスティス運動→ラディカル左翼勢力と変化した。今日のラディカル左翼勢力の特徴には「①ユーロコミュニズムや反資本主義トロツキズムなどの共産主義の系譜、②コービンやメランションに代表される社会民主主義左派の系譜、③グローバル・ジャスティス運動や広場の運動にあらわれたアナーキズムの系譜という三つの系譜」に属する潮流が反新自由主義・反緊縮という課題で合流していること、民主主義の再建という課題を打ち出していることがあげられる[12]。
政治学者のダニエル・キースとルーク・マーチは『Europe's Radical Left: From Marginality to the Mainstream?』(2016年)で急進左派政党を「保守派共産主義」「改革型共産主義」「革命的極左」「民主的社会主義」の4類型に分類した[11]。中北浩爾によると、民主的社会主義は「全体主義的共産主義と新自由主義的な社会民主主義の両方に反対し、反資本主義や反自由主義といった旧来の階級闘争的な政策に加え、それと同等あるいはそれ以上にエコロジー、ジェンダー、草の根民主主義など一九六八年に象徴されるニュー・レフト的な課題を重視する。マルクス主義を含む多様な社会主義イデオロギーに立脚するが、新自由主義への反対と議会外の大衆動員を重視する社会民主主義左派から、北欧諸国に見られる「緑の左派」まで幅広い」[11]。かつてマーチは民主的社会主義とは別にポピュリスト社会主義という類型を提示していたが、急進左派の多くがポピュリスト的な訴えかけを行うようになったため、両者の区別をしなくなった[11]。キースとマーチによると、民主的社会主義政党にはドイツの左翼党、ギリシャの急進左派連合(シリザ)、スウェーデンの左翼党、スペインのポデモスなどがあり、国際組織としては欧州左翼党、北方緑の左派同盟に参加している[11]。中北浩爾によると、日本では55年体制下の日本社会党が民主的社会主義に近い[11]。
- 民主社会主義の政党・政治団体
- 民主社会主義政党が参加している団体
- 主な人物
- パブロ・イグレシアス(ポデモス党首)
- ジャン=リュック・メランション(左翼党共同党首、「不服従のフランス」代表)
- ジェレミー・コービン(イギリス・労働党党首)
- オスカー・ラフォンテーヌ(ドイツ・左翼党共同党首)
- アレクシス・チプラス(急進左派連合党首、ギリシャ首相)
- ヤニス・バルファキス(ギリシャ財務相)
- バーニー・サンダース(無所属のアメリカ合衆国上院議員)
- アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(民主党所属のアメリカ合衆国下院議員、アメリカ民主社会主義者メンバー)
出典[編集]
- ↑ 瀬戸宏「社会主義と社会民主主義の関係──概念整理と日本での状況を中心に(PDF)」『社会主義理論研究』第2巻第1号、2022年
- ↑ a b 安世舟「民主社会主義」日本大百科全書(ニッポニカ)
- ↑ 中村菊男「民主社会主義と議会主義」『民主社会主義研究』創刊号(1960年4月号)。『改革者』第35巻第3号(第409号、1994年8月)に再録。
- ↑ a b c d e 加藤秀治郎「民主社会主義と社会民主主義――その過去・現在・未来」『改革者』第31巻第2/3号(第358/359号)、1990年6月
- ↑ a b c d 佐藤寛行『日本の政党綱領』民主社会主義研究会議、1977年
- ↑ 関嘉彦「回想録――私と民主社会主義(第五回)社会思想研究会の創設」『改革者』第38巻第5号(通巻442号)、1997年5月
- ↑ 民主社会主義連盟編『統一社会党綱領草案とその解説』社会思潮社、1955年
- ↑ 社会思想研究会編『社会思想研究会の歩み――唯一筋の路』社会思想社、1962年
- ↑ 堀江湛「民主社会主義と社会民主主義」『改革者』第32巻第2号(第370号)、1991年5月
- ↑ 加藤秀治郎「民主社会主義の現状と課題――西欧と日本」『改革者』第23巻第12号(第276号)、1983年3月
- ↑ a b c d e f 中北浩爾『日本共産党――「革命」を夢見た100年』中公新書、2022年
- ↑ 二宮元「ヨーロッパで台頭するラディカル左翼勢力」『政策科学・国際関係論集』第19号、2019年