1333年
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1333年とは、14世紀の33年目。日本の元号では正慶2年・元弘3年。日本の出来事については、旧暦で表している(新暦の場合は注意すること)。
日本の出来事[編集]
1月[編集]
2月[編集]
閏2月[編集]
- 鎌倉幕府軍が吉野城を落城させる。
- 鎌倉幕府の長門探題軍が、討幕の挙兵をした伊予国の土居氏や忽那氏を攻めて敗退。
- 閏2月24日(4月9日) - 後醍醐天皇が隠岐国を脱出し、伯耆国の名和長年に奉じられる。
3月[編集]
4月[編集]
- 4月16日(5月30日) - 足利高氏、京都に到着する。
- 鎌倉幕府軍の武将・北条高家が赤松円心と久我畷の戦いで敗れて戦死する。
- 4月29日(6月12日) - 足利高氏が丹波国篠村で討幕の挙兵を行い、諸国に討幕の檄文を配布する。
- 内蔵寮の倉庫が焼けて、天皇家歴代の重宝が焼失する。
- 足利高氏が篠村八幡宮に討幕の願文を納める。
5月[編集]
- 5月7日(6月19日) - 足利高氏らにより六波羅探題が滅ぼされ、京都が陥落する。
- 5月8日(6月20日) - 新田義貞が上野国で討幕の挙兵をする。
- 六波羅探題の北条仲時ら430名余が、近江国番場で自殺する。
- 後醍醐天皇が持明院統の光厳天皇の廃位、正慶の元号の廃止を布告する。
- 5月18日(6月30日) - 鎌倉の戦いが始まり、北条守時が新田義貞軍に敗れて自殺する。
- 5月22日(7月4日) - 北条高時ら北条一門が東勝寺で自殺し、鎌倉幕府が滅亡する(東勝寺の戦い)。
- 鎮西探題の北条英時が自殺し、鎮西探題が滅亡する。
6月[編集]
- 6月4日(7月16日) - 後醍醐天皇が京都に帰還する。
- 後醍醐天皇が、持明院統や大徳寺以下の公家、寺社領の安堵を行なう。
- 後醍醐天皇が護良親王を征夷大将軍に任命し、その代わりに足利高氏討伐を中止させる。
- 後醍醐天皇が自身の綸旨により全ての土地領有権を個別に安堵する旨を布告する。
7月[編集]
8月[編集]
9月[編集]
- 雑訴決断所を設置する。
10月[編集]
11月[編集]
- 中巌円月が「上建武天子書」「原民篇」「原僧篇」を後醍醐天皇に献上し、時勢を論じる。