北畠親房
ナビゲーションに移動
検索に移動
北畠 親房(きたばたけ ちかふさ、1293年2月 - 1354年5月10日)は、鎌倉時代・南北朝時代の公卿・武将である。『神皇正統記』の執筆者である。
経歴[編集]
1293年2月(正応6年1月29日)に父北畠師重、母は藤原隆重の娘の長男として生まれる。1308年(延慶1年)従三位となる。後醍醐天皇が文保2年3月29日(1318年4月30日)に即位すると、その信任を得た。元徳2年(1330年)、世良親王の急死から出家し、政界を引退した。
1316年(正和5年)1月5日、正二位に昇る。1354年4月(正平9年/文和3年)に死去、享年62。ただし、没年、場所は異論もある。
後村上天皇に吉野朝廷(南朝)の正統性を教育するために『神皇正統記』を執筆した。その神国思想は後世に大きな影響があった。明治41年(1908年)9月9日、正一位が追贈されたように、現在でも南朝が126代の天皇の正系とされている。