1397年
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1397年(せんさんびゃくきゅうじゅうなな(しち)ねん)は、1300年代の97年目のことであり、日本の元号では応永4年である。日本の天皇は後小松天皇であり、室町幕府の征夷大将軍は第4代将軍・足利義持である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 小山若犬丸が陸奥会津において自殺する。
- 2月 - 足利義満が六条八幡宮に修造費として出雲の段銭を寄進する。
- 4月 - 薩摩・大隅・日向守護の島津伊久が息子の忠朝を代理として肥前に遣わし、九州探題の渋谷満頼と面会させる。島津元久が薩摩福昌寺寺規を定める。足利義満が北山第(金閣寺)を造営する。
- 5月 - 石清水八幡宮大山崎神人の公事・土倉役を免じ、摂津道祖小路・天王寺・木村・住吉・遠里小野および近江小秋散財の土民らが荏胡麻を売買することを禁じ、油器を破却させる。
- 8月 - 物先周格が死去(67歳)。良瑜が死去(68歳)。小早川春平が安芸に仏通寺を創建し、愚中周及を開祖とする。
- 9月 - 足利義満が相国寺に大和元興寺の鐘をかける。旱魃となる。
- 12月 - 筑後の少弐貞頼、肥後の菊池武朝らが渋川満頼の命令を拒否したため、足利義満の命令で大内義弘・大友親世らに満頼の手に属させて追討させる。
- 10月 - 渋川満頼が菊池武朝や少弐貞頼らと戦う。大内義弘が足利義満から渋川救援の命令を受けて京都から出陣する。
- 11月 - 菊荘有恒が死去。建仁寺が焼失する。
- 月不明 - 鶴林寺本堂が完成する。渋川満頼が李氏朝鮮に使者を送り、大蔵経を求める。