太陰太陽暦
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太陰太陽暦(たいいんたいようれき)とは、月の満ち欠けと太陽の動きを考慮した暦。「旧暦」(𦾔暦)といった表記や呼称もある。
概要[編集]
月の満ち欠けを基本ととするため、「一年は365.2422日」と月の衛星周期である29.5との周期が有理数にならないため、閏月を挿入することで、地球の太陽公転との差を埋めている。
これによりヒジュラ暦のような太陰暦と違い、暦日と季節との差を小さくできる。
太陰太陽暦での1ヶ月は、29日(小の月)もしくは30日(大の月)で、特定月が小の月(28~30日)である太陽暦と異なり、一年の中での小の月と大の月の配分に規則性はない。
しかし、コンピューターが発達した現在においては、(理解はしがたいかもしれないが)フツーに前もって計算されている。
実例[編集]
日本[編集]
江戸時代まで使われていた日本の暦で、宣明暦と宝暦暦は朝廷陰陽寮が、貞享暦、寛政暦、天保暦は幕府天文方が暦法編纂を行った。
明治5年12月2日(グレゴリオ暦: 1872年12月31日 )まではこの暦が使用されていたが、明治政府は旧暦明治5年12月3日を、明治6年(1873年)1月1日として改暦した。
中国[編集]
中国本土を支配した王朝が採用したが、辛亥革命を機に、グレゴリオ暦に改暦した。