1391年
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1391年(せんさんびゃくきゅうじゅういちねん)は、1300年代の91年目のことであり、日本の元号では北朝は明徳2年である。南朝は元中8年である。日本の天皇は北朝は後小松天皇であり、南朝は後亀山天皇である。室町幕府の征夷大将軍は第3代将軍・足利義満である。明徳の乱が発生した年である。
日本の出来事[編集]
- 3月 - 斯波義将が管領を辞職して越前に帰国する。
- 4月 - 細川頼之が上洛し、細川頼元が管領に就任する。
- 7月 - 良鎮が融通念仏縁起絵巻を刊行する。
- 9月 - 足利義満が奈良に行き、春日社・東大寺・興福寺に参詣する。ただし大和鳥見・矢田・生馬の沙汰人・百姓らはその参詣の課役を拒否する。全国的に飢饉に見舞われる。
- 10月 - 筑後の五条頼治ら、北朝方の大友氏の軍勢を破る。良成親王がその軍功を賞する。
- 12月 - 山名氏清・山名満幸ら山名軍が幕府に背き、京都に攻め入ろうとするが、大内義弘・細川頼之・畠山基国らを大将とする幕府軍により防がれ、氏清は二条大宮で戦死し、満幸は敗走する(明徳の乱)。