1227年
ナビゲーションに移動
検索に移動
1227年(せんにひゃくにじゅうなな(しち)ねん)は、1200年代の27年目ことであり、日本の元号では嘉禄3年であったが12月10日に改元が行なわれて安貞元年となる。日本の天皇は後堀河天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第4代将軍・藤原頼経である。執権は第3代執権・北条泰時である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 六波羅探題が京都の群盗取り締まりのため、武士に巡回護衛させる。
- 2月 - 熊野衆徒が蜂起して乳酪を企てる。
- 閏3月 - 熊野衆徒が土御門上皇を奉じようとする計画を企てる。京都畿内などで長雨・洪水になる。
- 4月 - 西国で悪党が蜂起し、幕府が守護に鎮定を指令する。
- 5月 - 高麗が対馬島民の全羅州略奪を訴えたので、少弐資頼が悪徒を処分して高麗に返書を出す。
- 6月 - 延暦寺衆徒の訴えにより法然の大谷墳墓が破却される。
- 7月 - 専修念仏の僧侶を流罪にして専修念仏を禁止する。
- 8月 - 興福寺の衆徒が多武峯衆徒と争い、多武峯が数百戸を焼く。
- 10月 - 幕府が島津忠義に対して越前守護職などを安堵する。
- 11月 - 天変地異や疫病などの流行により、幕府により祈祷が行なわれる。
- 12月 - 京都に群盗が横行する。
- 月不明 - 道元が日本に帰国して曹洞宗を始める。尾張の加藤景正が帰国して瀬戸焼を始める。