1248年
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1248年(せんにひゃくよんじゅうはちねん)は、1200年代の48年目ことであり、日本の元号では宝治2年である。日本の天皇は後深草天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第5代将軍・藤原頼嗣である。執権は第5代執権・北条時頼である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 幕府が西国の名主・荘官らの京都大番役勤仕の可否につき、六波羅探題に指示を出す。
- 2月 - 幕府が翌年が源義経や藤原泰衡死後から60年にあたるため、永福寺を修築する。鞍馬寺供養が行なわれる。
- 4月 - 鎌倉の商人の定員を定める。
- 5月 - 安達景盛が死去。
- 7月 - 幕府が御家人の負債相続の法律を定める。後勅撰和歌集の撰が始まる。
- 8月 - 鳥羽殿の修造が竣工する。幕府が問注奉行の放埓を戒める。
- 10月 - 筑前の承天寺が焼ける。
- 12月 - 武田信光が死去(87歳)。摂政の近衛兼経が弟の鷹司兼平に摂政を譲ろうとするが幕府は許可せず、留任するように求める。
- 閏12月 - 関東分寺社の別当・神主などの数か所兼帯を禁止する。