1203年
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1203年(せんにひゃくさんねん)は、1200年代の3年目ことであり、日本の元号では建仁3年である。日本の天皇は土御門天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第2代将軍・源頼家であったが9月7日に北条時政によって廃され、源実朝が第3代将軍に就任する。なお9月に北条時政が初代執権に就任した。
日本の出来事[編集]
- 5月 - 源頼家が阿野全成を常陸に流罪にして殺害する。聖徳太子の墓を暴き、歯牙を盗んだ僧侶2人を流罪に処する。
- 7月 - 伊勢神宮が大風雨により倒壊する。
- 8月 - 源頼家が重病に倒れ、関東28か国の地頭職と総守護職を子の源一幡に、西国38か国の地頭職を弟の源千幡(実朝)に譲る。院宣により延暦寺学徒・堂衆の争いを制止する。
- 9月 - 北条時政が比企能員を殺し、源一幡も殺す(比企能員の変)。仁田忠常が頼家の命令により北条義時を襲撃するも逆襲されて殺される。朝廷が千幡を征夷大将軍に補し、諱に実朝と与える。頼家は出家する。北条時政・大江広元らが頼家を伊豆修善寺に幽閉する。
- 10月 - 幕府が平賀朝雅に京都を警衛させる。延暦寺の堂衆が城郭を構えるが、官軍により破られる。運慶・快慶が東大寺南大門の木造金剛力士像を造る。
- 11月 - 東大寺総供養が行われ、後鳥羽上皇が臨席する。後鳥羽上皇が藤原俊成に90の賀宴を賜る。
- 月不明 - 親鸞が結婚する。藤原隆信が神護寺の源頼朝像・平重盛像を描く。