1239年
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1239年(せんにひゃくさんじゅうきゅう(く)ねん)は、1200年代の39年目のことであり、日本の元号では暦仁2年であったが2月7日に改元が行われて延応元年となる。日本の天皇は四条天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第4代将軍・藤原頼経である。執権は第3代執権・北条泰時である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 幕府が陸奥の人民に対して布などの税に代えて銭貨などを貢納することを禁止し、さらに白河関より東の地域に銭貨の通用も禁止する。
- 2月 - 後鳥羽上皇が隠岐において崩御する(60歳)。
- 5月 - 幕府が綸旨の意向を受けて人身売買の禁令を出す。藤原能成が後鳥羽上皇の遺骨を奉じて京都に帰洛し、大原の西林寺に葬り、朝廷は顕徳院の称号を贈る。
- 7月 - 幕府が六波羅探題に強盗など重罪の犯罪者を鎌倉に送還させ、地頭が拘禁していた荘官や百姓を釈放させ、鈴鹿山・大江山の凶賊追捕を命じる。
- 9月 - 幕府が諸国の地頭に対して延暦寺の僧侶や借上などを代官にすることを禁止する命令を出す。
- 11月 - 藤原頼経の子で後に鎌倉幕府の第5代将軍となる藤原頼嗣が誕生する。
- 12月 - 三浦義村が死去。