1250年
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1250年(せんにひゃくごじゅうねん)は、1200年代の50年目ことであり、日本の元号では建長2年である。日本の天皇は第89代天皇・後深草天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第5代将軍・藤原頼嗣である。執権は第5代執権・北条時頼である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 北条時頼が藤原頼嗣に文学・武芸を習わせる。
- 3月 - 鎌倉中の無益人を田舎へ追放して農作を行なわせる。幕府が閑院内裏造営を北条時頼以下248名に分担させる。比叡山延暦寺の僧兵らの寄沙汰を禁止し、大和の悪徒の狼藉を禁止させる。
- 4月 - 幕府が鎌倉で庶民が帯刀したり夜中に弓矢を携行することを禁止する命令を出す。さらに庶民が地頭や地主の許可なく直訴することを禁止させる。
- 5月 - 円印法印が禁中で往生要集を講ずる。
- 7月 - 幕府が諸国の廃社・廃陵の再興を命じる。博打の流行により陸奥・常陸・下総に囲碁を除いて博打を禁止する命令を出す。
- 9月 - 幕府が庶民の訴訟裁決の時に敗訴の者より銭を徴収して橋の造営費などに充てることを決める。
- 11月 - 幕府が諸国の守護に対して鷹狩を禁止させる。
- 月不明 - 道元が『正法眼蔵』を著す。平泉地蔵院の孔雀文銅磐が完成する。