1219年
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1219年(せんにひゃくじゅうきゅう(く)ねん)は、1200年代の19年目ことであり、日本の元号では建保7年であったが4月12日に改元が行なわれて承久元年となる。日本の天皇は順徳天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第3代将軍・源実朝であったが1月27日に公暁に暗殺されて将軍は不在になった。執権は第2代執権・北条義時である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 源実朝が鶴岡八幡宮で右大臣拝賀の礼を行ない、その帰途に甥で猶子の公暁によって暗殺される(28歳)。北条義時の命令で公暁も誅殺される。
- 2月 - 北条義時が伊賀光季に京都警固を命じる。大江親広が京都守護に任命される。
- 閏2月 - 盗賊が法隆寺金堂の仏像を盗むが、捕縛されて3名が斬首となる。
- 3月 - 後鳥羽上皇が摂津長江・倉橋の両地頭職を廃止するように幕府に求める。
- 4月 - 京都の大火により、尊勝寺西塔や法成寺など多くが焼失する。続古事が完成する。藤原定家が毎月抄を撰する。
- 7月 - 九条道家の息子の三寅(後の藤原頼経)が鎌倉に下る。後鳥羽上皇の命令で、源頼茂追討が行なわれる。
- 10月 - 伊豆走湯山の中堂・講堂などが焼失する。
- 月不明 - 北野天神縁起(根本緑起)が完成する。