1219年

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1219年(せんにひゃくじゅうきゅう(く)ねん)は、1200年代の19年目ことであり、日本元号では建保7年であったが4月12日改元が行なわれて承久元年となる。日本の天皇順徳天皇である。鎌倉幕府征夷大将軍は第3代将軍・源実朝であったが1月27日公暁暗殺されて将軍は不在になった。執権は第2代執権北条義時である。

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