1224年
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1224年(せんにひゃくにじゅうよねん)は、1200年代の24年目ことであり、日本の元号では貞応3年であったが11月20日に改元が行なわれて元仁元年となる。日本の天皇は後堀河天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は不在である。執権は第2代執権・北条義時であったが6月に死去したため、北条泰時が第3代執権に就任した。
日本の出来事[編集]
- 3月 - 大和奈良坂の非人と京都清水坂の非人が争う。幼児を中心に赤疱瘡が流行する。
- 6月 - 鎌倉幕府の第2代執権である北条泰時が死去(63歳)。息子の北条泰時が執権職を継承する。
- 閏7月 - 北条義時未亡人の伊賀氏がその娘婿・一条実雅を将軍に、北条政村を執権にする陰謀を企てたとして逮捕される(伊賀氏の変)。
- 8月 - 伊賀氏が伊豆に流罪に処され、政所執事の伊賀光宗は解任されて信濃へ流罪に処される。専修念仏を禁止する命令が出される。
- 9月 - 一条実雅が越前に流罪に処される。
- 12月 - 疫病が流行する。
- 月不明 - 親鸞が『教行信証』を著す。