1223年
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1223年(せんにひゃくにじゅうさんねん)は、1200年代の23年目ことであり、日本の元号では貞応2年である。日本の天皇は後堀河天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は不在である。執権は第2代執権・北条義時である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 北条政子が畿内・西国の在庁官人に承久の乱以後の新しい守護・地頭の所務の非違を注進させる。伊予三島神社が焼ける。京都で火災が起こり高陽院が焼けたため、院政担当者の後高倉法皇が太政大臣である西園寺公経の屋敷に移る。
- 2月 - 加藤景正が道元と共に南宋に入国する。建仁寺の僧侶である明全が道元と共に南宋に赴く。
- 4月 - 幕府が諸国に太田文を録進させ、淡路から注進が行なわれる。
- 5月 - 後高倉法皇が崩御する(45歳)。これにより院政は停止される。
- 6月 - 新しい地頭の得分を定める。前賀茂神主の能久が鎮西で死去。
- 8月 - 幕府が伊賀長田荘に大犯3か条のほか、守護使の入部を停止することを命じる。
- 12月 - 運慶が死去。
- 月不明 - 高野山金剛三昧院が建立される。源光行の海道記が完成する。六代勝事記が完成する。
世界の出来事[編集]
- 5月 - モンゴル帝国で、初めて地方長官であるダルガチが設置される。
- イタリアでフランチェスコ修道会が認可され、托鉢修道会が成立する。
- ロシアでカルカ河畔の戦いが起こり、モンゴル帝国軍がロシア諸侯軍を大いに破る。