1232年
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1232年(せんにひゃくさんじゅうにねん)は、1200年代の32年目ことであり、日本の元号では寛喜4年であったが4月2日に改元が行なわれて貞永元年となる。日本の天皇は後堀河天皇であったが10月に譲位が行なわれて四条天皇が即位する。鎌倉幕府の征夷大将軍は第4代将軍・藤原頼経である。執権は第3代執権・北条泰時である。北条泰時により御成敗式目(貞永式目)が定められた重要な年である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 高弁(明恵上人)が死去(60歳)。
- 2月 - 宣旨により飢饉のため牛馬を飼うことが禁止される。
- 4月 - 幕府が新補地頭の所務6か条を定める。守護・地頭に夜討・強盗の逮捕を厳しく取り締ませる。
- 7月 - 幕府が評定衆から起請文を徴集する。
- 8月 - 北条泰時が式目51条を定めて布告する(御成敗式目・貞永式目)。康勝が法隆寺金堂の金銅阿弥陀三尊像を造る。
- 閏9月 - 幕府が畿内や西国の堺相論は国領は国司に、荘園は本家・領家の沙汰にするものとする。
- 10月 - 後堀河天皇が譲位し、四条天皇が即位して後堀河上皇の院政が開始される。藤原定家が新勅撰和歌集を撰んで奏進する。
- 11月 - 泰時が美濃高城西郡の千町余の年貢を停止し、美濃株瀬川駅において旅人を救済する命令を出す。
- 12月 - 幕府が六波羅探題に成敗法16か条を下す。さらに在京の御家人に大番役を免除し、大番衆の下人の狼藉を禁じ、商人の横行を戒める。