1205年
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1205年(せんにひゃくごねん)は、1200年代の5年目ことであり、日本の元号では元久2年である。日本の天皇は土御門天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第3代将軍・源実朝である。執権は初代・北条時政であったが閏7月19日に牧氏の変で時政が失脚し、第2代執権に北条義時が就任した。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 藤原隆信が死去(64歳)。
- 3月 - 源通具・藤原定家らが新古今和歌集を撰進する。
- 4月 - 佐々木定綱が死去。
- 6月 - 北条時政が平賀朝雅の讒言を受け入れて畠山重忠・重保父子らを殺害する(畠山重忠の乱)。藤原良経が五辻殿で詩歌合を行なう。
- 閏7月 - 北条時政が源実朝を廃して平賀朝雅を新将軍に擁立しようとするが、北条政子と義時の反対により失敗して執権職を追われて失脚し、第2代執権に義時が就任する(牧氏の変)。北条義時の命令により、在京の武士により平賀朝雅が殺害される。朱雀院に築垣を築いて後鳥羽上皇の遊猟地とする。
- 11月 - 幕府が和与の悔返しを認めないことを定める。
- 月不明 - 後鳥羽上皇が世俗浅深秘抄を撰する。文覚が鎮西に流罪となる。