1214年
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1214年(せんにひゃくじゅうよねん)は、1200年代の14年目ことであり、日本の元号では建保2年である。日本の天皇は順徳天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第3代将軍・源実朝である。執権は第2代執権・北条義時である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 源実朝が病に倒れ、栄西が良薬として茶を進め、喫茶養生記を録進する。
- 4月 - 後鳥羽上皇が笠懸を行なう。延暦寺衆徒が園城寺金堂以下129棟を焼く。
- 8月 - 興福寺衆徒が強訴を企てたので、宇治・淀・瀬田に軍勢が送られて防がれる。
- 9月 - 東北院職人歌合が完成する。
- 10月 - 禁中に初めて人丸影供和歌御会が行なわれる。
- 11月 - 和田義盛の残党が源頼家の遺児である栄実を奉じて京都において反乱を計画するが失敗し、六波羅の幕府軍に攻められて栄実は自殺する(14歳)。
- 12月 - 幕府が御家人の任官は家督人より申請させることを定める。
- 月不明 - 海住山寺五重塔が完成する。