1200年
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1200年(せんにひゃくねん)は、1200年ちょうどのことであり、日本の元号では正治2年である。日本の天皇は土御門天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は不在である(家督自体は源頼家が継承していた)。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 幕府が御家人に京都大番役を勤仕させる。梶原景時・景季父子、京都に赴こうとするが駿河狐崎で敗死する(梶原景時の変)。源頼家が相模大庭野で狩りを行なう。三浦義澄が死去(74歳)。
- 2月 - 和田義盛が侍所別当に任命される。
- 閏2月 - 北条政子が源義朝の遺跡である寿福寺を鎌倉亀谷に建立する。藤原経房が死去(58歳)。
- 3月 - 京都で疫病が流行する。
- 4月 - 安達盛長が死去(66歳)。
- 5月 - 幕府が念仏宗を禁止する。
- 7月 - 源頼家が相模川で遊覧する。佐々木経高が京都および淡路において官命に背いたため、幕府は後鳥羽上皇の存在を考慮して淡路など3か国の守護職を没収する。
- 7月 - 京都で疫病が流行する。
- 8月 - 幕命により奥羽方面の地頭は藤原秀衡・藤原泰衡父子の旧例により職務を遂行することが命じられる。後鳥羽上皇が百首和歌を歌人から徴する。
- 9月 - 後鳥羽上皇が十首和歌を徴する。
- 12月 - 源頼家が諸国の田文を調べ、治承以来の新恩地500町以上の物は没収して近臣に与えようと図るが、三善康信らの反対に遭って撤回する。
- 月不明 - 九条兼実の日記である玉葉がこの年をもって終了する。快慶が金剛峯寺の孔雀明王像を造る。後鳥羽上皇・藤原家隆・寂蓮らが熊野懐紙を書く。