神聖ローマ帝国
神聖ローマ帝国(しんせいローマていこく、ドイツ語: Heiliges Römisches Reich)とは、西暦800年にフランク王国の後継国家として誕生したゲルマン民族の国家。西ローマ帝国の後継国家を建前としており、カール大帝を初代皇帝とする。ドイツ、オーストリアなど、現在のドイツ語圏の前身である。1000年近くヨーロッパにおいて主要な地位を占めていたが、1805年にナポレオン・ボナパルト率いるフランス帝国軍に首都ヴィーンを制圧され、1806年に各領邦に解散した。
なお、神聖ローマ帝国という国名を正式に使用しだしたのは1254年からのことであり、それまでは単なる「ローマ帝国」「帝国」「ドイツ王国」などと呼ばれていた。
概要[編集]
歴史[編集]
この帝国の起源は非常に複雑である。カール大帝が皇帝に戴冠されたときをもってする場合もあれば、962年のドイツ王・オットー1世の皇帝戴冠が起源とされる場合もある。
1618年からの30年戦争で国内は荒廃して帝国は完全に無力化。以後、ヴェストファーレン体制によって諸侯の独立自治体制が確立し、帝国と皇帝の立場は名目的なものだけとなる。そして1806年にナポレオンによりライン同盟が結成されると、当時の皇帝・フランツ2世が形式的とはいえ神聖ローマ皇帝を放棄したため、これにより神聖ローマ帝国は完全に幕を閉じることになった。
皇帝[編集]
この国の元首は神聖ローマ皇帝(あるいは皇帝に戴冠されなかった場合はドイツ国王)であるが、皇帝としての権力・権威は非常に弱かった。これは歴代皇帝がイタリア政策に集中して肝心の地盤であるドイツの地固めを怠ったためである。そのため、皇帝といってもドイツ諸侯よりひとつ抜きん出た程度の存在でしかなかった。このため、皇帝個人の資質が非常に重要となり、皇帝が優秀ならば諸侯も従うが、皇帝が凡庸あるいは暗愚で失政を犯したならば、これを廃位して新たな皇帝を立てるパワーバランス崩壊のケースも非常に多かった。
また、1000年にわたり続いてきた帝国であるが、皇帝や皇族は常にドイツ諸侯に左右されていたため、1000年の間にいくつもの王家が入れ替わっており、血縁が繋がらないケースが多い。
その他[編集]
ヴェストファーレン体制は日本の江戸時代における幕藩体制と類似しており、これを問題視した明治政府がプロイセン王国主導のドイツ帝国成立に倣って、藩主の地方自治権を剥奪した廃藩置県や欽定憲法である大日本帝国憲法を制定している。
また、ヴォルテールは「神聖でもローマ的でも帝国でもない」と評した。
日本の歴史の勉強でも、上記と同様に「神聖でもなく、ローマに首都のなかった国」としてネタにされている。
外部リンク[編集]
- The constitutional structure of the Reich
- Das Heilige Reich (German Museum of History, Berlin)
- List of Wars of the Holy Roman Empire
- Deutschland beim Tode Kaiser Karls IV. 1378 (Germany at the death of emperor Charles IV.) taken from "Meyers Kleines Konversationslexikon in sechs Bänden. Bd. 2. Leipzig u. Wien : Bibliogr. Institut 1908", map inserted after page 342
- Books and articles on the Reich
- The Holy Roman Empire
- ハイビジョン特集 シリーズ ハプスブルク帝国 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス