1202年
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1202年(せんにひゃくにねん)は、1200年代の2年目ことであり、日本の元号では建仁2年である。日本の天皇は土御門天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は7月23日に源頼家が第2代将軍に就任した。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 九条良経が般若経を書写する。新田義重が死去(68歳)。
- 3月 - 源頼家が比企能員の屋敷で花見を行ない、歌舞を観覧する。定慶が興福寺の梵天像を造る。
- 5月 - 幕府が兄弟相論の法を定める。
- 7月 - 源頼家が征夷大将軍に補せられる。寂蓮が死去。
- 8月 - 朝廷が正規の手続きによらない訴訟は認めない旨を定める。
- 9月 - 源頼家が伊豆・相模で狩りをする。
- 10月 - 源通親が死去(54歳)。
- 閏10月 - 幕府が諸国守護人の越権を戒める。
- 12月 - 文覚を流罪先から召喚する。
- 月不明 - 栄西が建仁寺を創建する。