1212年
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1212年(せんにひゃくじゅうにねん)は、1200年代の12年目ことであり、日本の元号では建暦2年である。日本の天皇は順徳天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第3代将軍・源実朝である。執権は第2代執権・北条義時である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 法然(源空)が死去(80歳)。
- 2月 - 源実朝が相模川の橋を修理する。北条時房が武蔵諸郷に郷司職を補する。幕命により京都大番役の怠慢の罪が重くされる。
- 3月 - 後鳥羽上皇が系図論議を行なう。鴨長明が方丈記を著す。
- 6月 - 和田義盛が源実朝に和漢名将の画像を献上する。
- 8月 - 幕命により守護・地頭らの鷹狩が禁止される。
- 10月 - 幕府が関東分国に奉行人を派遣して庶民の訴えを聞かせる。
- 11月 - 明恵が催邪論を著し、選択本願念仏集を攻撃する。
- 月不明 - 院賢が法勝寺南大門の仁王像を造る。