1242年

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1242年(せんにひゃくよんじゅうにねん)は、1200年代の42年目のことであり、日本元号では仁治3年である。日本の天皇四条天皇であったが1月に崩御して後嵯峨天皇が即位する。鎌倉幕府征夷大将軍は第4代将軍・藤原頼経である。執権は第3代執権・北条泰時であったが6月に死去して孫の北条経時が第4代執権に就任する。

日本の出来事[編集]

  • 1月 - 四条天皇が崩御(12歳)。皇位継承をめぐって朝幕関係が緊張する中で後嵯峨天皇が即位する。狛近真が死去(66歳)。
  • 3月 - 佐々木信綱が死去(62歳)。
  • 5月 - 北条泰時が出家して観阿と号する。
  • 6月 - 北条泰時が死去(60歳)。嫡孫の北条経時が第4代執権に就任する。京都旱魃が続く。高野山奥院の僧兵が伝法院の僧兵と抗争して伝法院を焼く。
  • 7月 - 四条天皇や北条泰時の相次ぐ死去に後鳥羽天皇の祟りと見て、幕府が大原法華堂に使者を出して顕徳院の諡号を後鳥羽院と改める。
  • 9月 - 順徳上皇佐渡で崩御(46歳)。
  • 10月 - 源親行による東関紀行が完成する。
  • 12月 - 諸国に咳病が流行する。

世界の出来事[編集]

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