1213年
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1213年(せんにひゃくじゅうさんねん)は、1200年代の13年目ことであり、日本の元号では建暦3年であったが12月6日に改元が行なわれて建保元年となる。日本の天皇は順徳天皇である。鎌倉幕府の征夷大将軍は第3代将軍・源実朝である。執権は第2代執権・北条義時である。和田合戦があった年である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 泉親衡が源頼家の遺児・千寿丸を奉じて反乱を計画するが、使僧の安念が捕縛されて計画が露見する。源実朝が近侍のうち、北条泰時ら芸能がある18人を学問所番として交替で伺候させる。閑院内裏が完成し、順徳天皇が三条殿から移る。実朝が正二位、北条義時が正五位下に叙される。貞慶が死去(59歳)。
- 3月 - 延暦寺の大津神人が越前で出挙するのを大内惟義の代官が妨げ、神人の訴えにより朝廷が代官の処罰に動く。
- 4月 - 法勝寺九重塔が落成する。
- 5月 - 和田義盛が北条義時に対して反乱を起こして攻めるが、敗死する(和田合戦。67歳)。幕府が和田義盛の守護職や所領を没収し、義時が侍所別当に就任する。
- 6月 - 院宣が出され、藤原定家の所領である越前小森保の相撲取りの小藤太が召される。
- 8月 - 将軍御所の造営が完成し、実朝がそこに移る。東大寺伊賀玉滝荘において近江信楽荘民の乱暴を院宣によって停止させる。
- 11月 - 藤原定家が実朝に万葉集を贈る。幕府が定家の所領の地頭の非法や新儀を停止させる。
- 12月 - 北条泰時が所領の伊豆阿多美(熱海)郷地頭職を走湯山権現に寄進する。源実朝の歌集である金槐和歌集が完成する。建礼門院徳子が死去(57歳)。
- 月不明 - 康弁が興福寺の天燈鬼・竜燈鬼像を造る。