親鸞
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親鸞(しんらん)は、鎌倉時代の僧である。
生涯[編集]
1173年、現在の京都市伏見区生まれ。9歳の時に出家して、天台宗の寺に入る。29歳の時に、浄土宗の開祖である法然と出会い、弟子入りするが、その6年後に浄土宗が弾圧を受けることとなり、法然・親鸞ともに流罪となる。[1]。
親鸞は越後に流罪となったが、赦免された時、すでに法然は入滅していた。親鸞は、1215年頃に常陸国、現在の茨城県下妻市に入り、まだ浄土宗が広まっていなかった関東を中心に布教活動を行う。法然と同様に、末法思想が広がっているという背景の中、信徒を徐々に増やしていった。その後、1232年頃に京都に戻り、根本聖典である教行信証を執筆。1263年に90歳で往生。[2]
親鸞自身は、あくまで法然の弟子という認識で、独立宗派を意識してはいなかった。しかし、弟子たちが親鸞を祖と仰ぐ様になり、親鸞の流れを組む宗派が真宗、あるいは浄土真宗と後に呼ばれる様になった。