1180年
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1180年(せんひゃくはちじゅうねん)は、1100年代の80年目のことであり、日本の元号では治承4年である。日本の天皇は第80代天皇・高倉天皇であったが2月に譲位が行なわれて第81代天皇・安徳天皇が即位した。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 囚人のうち、15名が斬られ、21名は手を斬られる処置がとられる。
- 2月 - 平清盛が摂津大輪田泊の修築を勅命で許される。高倉天皇が譲位して上皇となり、安徳天皇が践祚する。
- 3月 - 高倉上皇が厳島に御幸する。
- 4月 - 高倉上皇が帰洛する。以仁王が源頼政・源行家らの勧めに応じて平氏討伐の令旨を発する。京都で平清盛を呪詛しているという噂が広がる。
- 5月 - 平清盛が源頼政の子・源兼綱に以仁王を捕縛して土佐に流すように命じる。以仁王は園城寺に逃走し、清盛は源頼政に園城寺攻めを命じるが、頼政は以仁王と共に奈良に走って宇治で敗死する(30歳。76歳)。
- 6月 - 安徳天皇・高倉上皇・後白河法皇らが平清盛と共に福原京に遷都する。園城寺が先の以仁王の反乱に協力したのを理由として荘園を没収される。源頼朝が密かに関東の家人を集める。
- 8月 - 源頼朝が北条時政らと協力して伊豆で反平氏の挙兵を行なう。源頼朝が相模石橋山の戦いで平氏軍に敗れ、安房に逃亡する。
- 9月 - 源義仲が信濃において反平氏の挙兵を行なう。武田信義が甲斐において反平氏の挙兵を行なう。
- 10月 - 源頼朝が相模鎌倉に入る。平清盛が孫の平維盛を総大将とした大軍を関東に派遣するが、富士川の戦いで平氏軍は敗走する。平清盛の正室・平時子が厳島神社・宇佐八幡宮に詣でる。盗賊により放棄された京都の上層部の邸宅が襲撃される。
- 11月 - 源頼朝が和田義盛を侍所別当に任命する。美濃・尾張・近江各地の源氏勢力が平氏に対して反乱する。平清盛が福原京を放棄して京都に都を戻す。
- 12月 - 平清盛が平重衡を総大将とした大軍を奈良に送り、東大寺や興福寺を焼く。九州の菊池氏が平氏に対して反乱する。
- 月不明 - 『粉河寺縁起』が完成する。『病草紙』が完成する。橘忠兼が『伊呂波字類抄』を撰する。