1189年
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1189年(せんひゃくはちじゅうきゅう(く)ねん)は、1100年代の89年目のことであり、日本の元号では文治5年である。日本の天皇は第82代天皇・後鳥羽天皇である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 源頼朝が正二位に叙される。
- 2月 - 安房・上総・下総などの地頭に対して荒地の開墾が命じられる。平時忠が死去(60歳)。
- 閏4月 - 源頼朝の圧力に屈して藤原泰衡が源義経のいる衣川館を襲撃して殺害し、その首級を鎌倉に送る(31歳)。
- 5月 - 北条時政が伊豆北条に願成就院を創立する。
- 6月 - 源頼朝が鶴岡八幡宮に塔を建てて亡母の冥福を祈る。
- 7月 - 源頼朝が藤原泰衡を討伐するための軍勢を出陣させる。
- 8月 - 源頼朝が平泉に入る。藤原泰衡が厨川に逃亡する。快慶が興福寺の弥勒菩薩像を造る。康慶が興福寺南円堂の不空覇索観音像・法相六祖像を造る。
- 9月 - 藤原泰衡の郎党の河田次郎が泰衡を殺害してその首級を源頼朝に送り、奥州藤原氏が滅亡する。源頼朝が葛西清重を陸奥の奉行に任命する。
- 10月 - 源頼朝が鎌倉に帰還する。後鳥羽天皇が春日神社に行幸する。
- 11月 - 源頼朝が朝廷に対して伊豆の甘苔および綿を献上する。
- 12月 - 源頼朝が藤原泰衡追討の賞与に代えて陸奥・出羽2か国の管領を許されることを朝廷に対して奏請する。源頼朝がそれにより陸奥と出羽を与えられ、入京するように命じられる。源義経・藤原泰衡の冥福のために鎌倉に永福寺が建立される。