宗教
日本語としての「宗教」(しゅうきょう)とは、本来的には「おおもとの教え」であるが、一般的には「宗派」「教派」「団体」と混用された結果として誤用されている。
概要[編集]
意外なことに、科学とは表裏一体の関係にある。「作用・反作用の法則」「運動量の保存則」を疑う物理学者はいないが、「質量保存則」は「エネルギー保存則」と捉えられるという派もいれば、「角運動量の保存則」に疑義を唱えるエルンスト・マッハ(「マッハのバケツ」)もいる。ニュートン力学とアインシュタイン的な力学と量子力学は宗教としては異なるが、対立はしていない。このため「どこの宗派に属しているか」と訊かれると面倒臭いというひともヨーロッパなどには多く、「無宗教」と答える人もいる。日本人だと「日本の宗教人口を合計すると日本の人口を越える」というので、「どこの教派・宗派に属しているか」に対するこだわりは日本人にはあまりない。
一般的な認識における「宗教」の定義としては、「人間の現存在を超越したものへの信仰を主体とする思想体系」とされる。観念体系であり[1]、また、その体系にもとづく行事、儀礼、施設、組織、教義などをそなえた思想体系であり、社会集団に浸透したものをいう[2][3]。
ただし、日本では神仏習合の歴史が長くあり、キリスト教の流入などもあったため、それぞれの行事や儀礼がどの宗教に由来するかについては厳格に区分されることはほとんどない。仏教系の幼稚園でクリスマスを祝ったりすることも珍しくない。エホバの証人などでは、クリスマスや誕生日を祝うことは禁止されているすることもあるらしい。
分類[編集]
「宗教」に対する解釈は、視点によって異なる。学問的な区分は統一されていない。
- 創成神話がある/ない
- 教義がある/ない
- 国家的に採用されている/いない
といった区分のほか、
- 民族的に定着している/いない
- 教義がある/ない
- 布教する/しない
ためにバリエーションがある。
一般には
が特に信徒数が多いといわれるが、「ユダヤ教⇒キリスト教⇒イスラム教」といった流れがあり、キリスト教の正教とカトリックとプロテスタント、イスラム教のスンナとシーアのように内ゲバを繰り返しているケースが多々ある。
これらも含め、同じ宗教であっても教義が複数種類あり、それぞれの教義のことを「宗派」と呼ぶ。なお、教義が同じでも教団組織が異なる場合、組織単位で宗派を分けることもある。例えばキリスト教の一派、東方正教の場合、国単位で「ロシア正教」「ウクライナ正教」などと呼ばれる。
分類[編集]
それぞれの研究者によってさまざまな視点があり、
- 民族宗教 ⇒ 市民宗教 ⇒ 世界宗教
- 原始宗教 ⇒ 古代宗教 ⇒ 伝統宗教
などの見解がある。本稿では、日本の宗教観に基いて、以下のように分類する。
- 原始宗教 - 太陽信仰・山岳信仰など。「原始神道」と呼ばれる。
- 古代宗教 - 都市文化が確立し、文字文化が成立して以来の宗教。
- 伝統宗教 - いわゆる国家宗教。ただし、神道には創成神話はあるものの教義らしきものはなく、制度があるというかなり変則的な宗教である。
- 新興宗教 - 既存の伝統宗教とは別に、信者の要求に応えているうちに、それが「宗派」と成立したものをいう。キリスト教はユダヤ教から派生した新興宗教である。
- 新宗教 - 大雑把にいうと、都市国家を含む体制の方針に対抗する宗教である。古くはプロテスタント、近年ではオウム真理教がある。いわゆるカルト宗教はこれに便乗したものである。
- 新新宗教 - 空飛ぶスパゲティ教団などの、いわゆる「冗談宗教」を含む。
普通に生活をしながら宗教活動を行う「在家信者」が一般的には多い[4]。そのため、「宗教」(教え)なので日本では「兼学」が広く認められているため、「日本国内の各宗教の信者数を合計すると、日本国の人口を越える」という、一神教で唯一神信仰を強要する(一部の)ユダヤ教徒・キリスト教徒[5]・イスラム教徒には理解しがたいことが起きる。
一方で、聖職者として、修道院や寺院の僧坊に住み込み、宗教活動そのものを生業とする「出家信者」も各宗教で見られる。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 磯前順一 『近代日本の宗教言説とその系譜:宗教・国家・神道』 岩波書店、2003年。ISBN 4000225251。
- 古野清人 『世界大百科事典』14、平凡社、1978年(原著1972年4月25日)。