土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)は、平安時代の僧侶、あるいは源頼朝に仕えた僧兵である。渋谷重家の実子。元源義朝の家臣。
大和興福寺の同衆。最初は頼朝に反抗的だが、頼朝の家臣である土肥実平が説得し頼朝の家臣となる。梶原景時が源義経追討を失敗、からがらなんやかんやで鎌倉に戻ってきた後、源頼朝にスカウトされ義経を京で襲撃した。
1185年10月の義経を討とうとした日、鞍馬山へと逃亡したがその後、捕らえられて六条ヶ原で処刑された。享年不明。