孤立路線 (鉄道)

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孤立路線 (鉄道)(こりつろせん)とは、鉄道路線において、自社の他路線との接続がないもののことをさす。

概要[編集]

鉄道路線を建設する際、他路線と接続していた方が管理の都合も良く、かつ乗客側でも1枚の乗車券で目的地につけるという利点がある。しかし、諸般の事情により他路線との接続が全くなくなった事例も少なからず存在する。この事例は大手私鉄、JR、地方私鉄を問わない。

こうなる原因として以下の理由がある。

  • もとは接続していたが、新線開業などによりその部分だけ廃止された
  • その路線のみわざわざ買収された、あるいは離れ離れの複数の会社が合併した
  • 電力・鉱業会社、第三セクターや県主導で離れ離れの地域に複数の路線を建設した。

なお、孤立路線であるからとはいえ、本線系統とのつながりが全くないわけではないが、間接的にですら線路が繋がっていない場合、検査を本線側でまとめて行う際はトラックなどで部品等の輸送が行われる。

また、線路が完全に繋がっていても、諸般の事情で電化区間が孤立もしくは電化方式が周囲の路線と異なる方式だったり、周囲の電化が進む中で孤立して非電化になっている区間もあり、これらを孤立電化区間孤立非電化区間と呼ぶことがある。特に孤立非電化区間では、その区間専用の車両が必要で、管理する点でデメリットになり得る。

さらに、買収等によって、同一事業者になっても、周囲の他の路線と軌間が異なりかつ改軌されない路線は孤立軌間路線と呼ぶことがある。

本ページでは、これらの一例をできる限りの範囲で挙げていく。

一例[編集]

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JR大湊線JR八戸線[編集]

東北新幹線開業で並行在来線が青い森鉄道に移管され、事実上孤立路線となった。大湊線の一部は青森や八戸まで乗り入れる他、八戸線も新幹線と接続するが、いっそのこと下北交通三陸鉄道に移管しても良かったように思える

弘南鉄道大鰐線[編集]

弘南線と別々の経緯で建設された路線であるが故弘南線との接続はない。2027年度末の運行休止および、それ以降の廃止で解消となる見込み。

西武多摩川線[編集]

孤立路線東の代表。かつて多摩鉄道として建設されたこの路線は戦前に西武鉄道の路線となったが、その後の延伸はなされず現在まで孤立路線のままである。車両の検査時については武蔵野線の秋津連絡線を経由して、武蔵境まで中央本線を配給輸送される。なお、サステナ車両導入で、検査を外部委託にすることが予想されている。

関東鉄道竜ヶ崎線常総線[編集]

関東鉄道の4鉄道路線はそれぞれ出自が異なるため、互いの路線の接続がない典型的な鉄道事業者だった。現在残った2路線も自社内での接続駅が存在しない。

東武東上線越生線[編集]

東武鉄道への吸収合併後、西板線の建設により接続予定だったが、建設許可がなかなか下りず未接続のまま終わってしまった。車両は羽生から寄居まで秩父鉄道を使用して配給輸送されるが、現在構想中のメトロ有楽町線豊洲 - 住吉間の支線が実現すれば状況が変わる可能性がある。

伊豆箱根鉄道大雄山線[編集]

大雄山鉄道として開業したが、戦時中に駿豆鉄道に吸収合併された。車両の検査時は駿豆線の三島駅まで東海道線上を配給輸送され、駿豆線の大場車庫に送られる。

しなの鉄道[編集]

篠ノ井長野間が並行在来線切り離しの例外になったため、南北で孤立区間を抱える鉄道事業者となっている。とはいえ、南側は長野駅まで直通し、長野駅での接続が図られている。

JR越美北線JR七尾線JR氷見線JR城端線JR高山本線JR大糸線[編集]

北陸新幹線開業に伴い並行在来線がIRいしかわ鉄道あいの風とやま鉄道えちごトキめき鉄道に移管され、事実上孤立路線となったが、七尾線はすべてJR西日本の金沢まで直通する他、それ以外の路線は新幹線との接続が図られている。加えて、七尾線は、周囲が交流電化方式の中で孤立直流電化路線となっている。2024年3月末からはJR越美北線も仲間に加わる。
もっとも、それぞれのと鉄道、万葉線、あいの風とやま鉄道、JR東海、JR東日本に移管しても良かったように思える。とはいえ、氷見線と城端線はLRT化計画が進んだもののボツになり、かつ新車投入に伴い、沿線自治体市長らとあいの風とやま鉄道の日吉敏幸社長は、あいの風とやま鉄道への移管を主張し、JR西日本の漆原健常務も検討を進める意向を示した。ついでに大糸線は廃止が取り沙汰されているが、えちごトキめき鉄道の鳥塚亮社長は廃止の反対とトキ鉄への移管を主張している。

北陸鉄道石川線[編集]

浅野川線との接続は現在ないが、かつては北陸鉄道の金沢市内線で間接的に接続されていた。加えて浅野川線と並んで孤立直流電化路線でもある。浅野川線の車両検査の際はトラックで部品ごと鶴来駅まで運ばれる。

もっとも、香林坊地区方面に地下LRT計画が立ち上がっており、これにより再接続する可能性もある。一時期は存廃議論沙汰になったが、バス化が困難になることから廃線は免れた。

名鉄瀬戸線[編集]

孤立路線名古屋の代表。こちらも瀬戸電気鉄道として建設されており、戦時中に名鉄に合併されたが、名古屋駅などへの延伸はなされず今日に至る。もっとも、名鉄小牧線が戦前の計画通り大曽根に延伸するか、清水や東大手に接続する新線を建設すればよかったように思われる。

車両の検査の際は、トラックで一部の部品が舞木検査場に運ばれる。

豊橋鉄道東田本線[編集]

福井鉄道広島電鉄で実現の「都市中心部直結トラム」や伊予鉄道古町駅の平面交差の構内からすると孤立路線に見えなくもない。

三岐鉄道北勢線[編集]

元三重交通→近鉄の路線であることから三岐線とは離れている。三岐移管後、軌間の同じ下津井電鉄(後述)で廃車後、短命の「メリーベル」号を購入して「2社目のドジョウ」を目論んだが、改造費の都合であえなくボツ。

京阪京津線石山坂本線[編集]

1997年に京都市営地下鉄東西線が開業し、京津線の御陵-三条間が廃止され、以降孤立路線と化した。なお、三条京阪駅にて京阪本線と接続が図られている。

近鉄田原本線[編集]

自社の他路線どころか他社の路線とも接続がない例。戦前の大和鉄道の頃は桜井駅まで伸びていたが廃止され、現在は西田原本駅から近鉄橿原線に伸びる渡り線でしか繋がっていない。近鉄合併直前の信貴生駒電鉄の路線の時期は孤立路線状態だった。

ただし、新王寺駅とJR王寺駅は隣接していて乗換可能で、実質的にJR大和路線の培養線になっている他、西田原本駅と橿原線田原本駅も乗換可能。

土佐くろしお鉄道[編集]

元々、JR中村線の受け皿第三セクターからスタートし、その後、鉄建公団工事線の宿毛線と阿佐線の受け皿になったため東西で孤立した路線となった。

2021年12月には2700系を使用して中村線・宿毛線・阿佐線を土讃線経由で直通運転するツアーが開催される。

平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線[編集]

JRや市営の貨物線を観光鉄道に再生させるにあたり、既存三セクの平成筑豊鉄道に運行委託した都合上、平成筑豊鉄道として孤立路線となった。

西鉄貝塚線[編集]

かつては福岡市内線により間接的に天神大牟田線と接続していたが、2000年までに廃止され、接続路線は福岡市営地下鉄箱崎線のみとなり、かつ、貝塚線各駅から西鉄の他鉄道線各駅との運賃はキロ通算されず、乗り切り合算となっている。

沖縄都市モノレール線[編集]

現在の沖縄県内の鉄道はここだけであり、正真正銘の孤立路線ではあるものの、那覇空港により本土の羽田関空など鉄道が乗り入れる空港との接続が図られている。

過去の事例[編集]

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三陸鉄道[編集]

北リアス線南リアス線は別々の路線となっていたが、2018年の山田線宮古 - 釜石間復旧に伴い同区間が三陸鉄道に移管され1本の路線となった。

小坂鉄道小坂線花岡線[編集]

同和鉱業(現在のDOWAホールディングス)への買収後、同社の片上鉄道と直接線路が繋がっていなかった。その後、花岡線は廃止、小坂線も小坂製錬に譲渡され、孤立路線状態は解消しているが、同線のキハ2100形の一部が片上鉄道に転出している。なお、同和鉱業時代の一時期、孤立電化路線でもあった。

東武熊谷線[編集]

熊谷から妻沼までを結び、更には西小泉まで北進して結ぶ予定で、加えて東上線の東松山駅への南進構想があったが、東武が両毛地域の乗客の高崎線流出を警戒して渋ちんだったせいか、計画は頓挫し、廃止まで東武の他路線から孤立した路線のままであった。1983年の廃線により過去のものとなった。

西武有楽町線[編集]

開業からしばらくは営団側でしか接続せず、西武線としては孤立路線だった。

東急世田谷線[編集]

元々、東急玉川線の支線で、玉川線の本線が廃止された1969年から、新玉川線が開通する1977年まで東急電鉄線としては孤立路線だった。

都営大江戸線[編集]

1991年練馬駅以北の開業から1997年の新宿駅延伸まで、都営地下鉄線としては孤立路線だった。

新潟交通電車線[編集]

1993年の月潟以南廃止後、他線との公式接続駅が無くなり、JR関屋駅に近接していた東関屋駅が接続駅とされなかったため、孤立路線となった。1999年廃線。

頸城鉄道線[編集]

1968年の新黒井 - 百間町間の廃止後は他社を含んだ鉄道路線との接続が無く、1971年の廃止まで本当の孤立路線となり、JTBなどの時刻表からも存在自体を消された。

富山地方鉄道射水線[編集]

他の富山地鉄の鉄道線と接続しなかった路線。越ノ潟駅で線路分断後、路面電車が描かれていない地図では、他の鉄道駅と接続しない孤立路線の様相だった。

加越能鉄道高岡軌道線・新湊線・伏木線[編集]

元は富山地方鉄道の管轄(前述)であったが、越ノ潟駅で線路が分断されたことに伴い加越能鉄道に譲渡された。しかし、加越線と接続はなされず、かつ加越線のほうが先に廃止となり孤立路線状態が解消している。

もっとも、直流電化としては他社線から孤立しており、近くを走るあいの風とやま鉄道は現在に至るまで交流電化である。

北陸鉄道金石線加南線小松線[編集]

いずれも建設の経緯が別々で、陸上交通調整法による吸収合併後も浅野川線、石川線とは直接的な接続はなかった。同じく接続の無かった能登線を含め現在はすべて廃止済。

北陸鉄道片山津線[編集]

北陸鉄道のなかで広域路線網が形成された加南線で、国鉄動橋駅を挟んで他の路線から孤立していた路線。

京福電気鉄道越前本線三国芦原線[編集]

京都電燈(関西電力の前身の一つ)主導で企業統合したため、嵐電や叡電との接続がなかった京福の路線だが、2001年に起きた京福電気鉄道越前本線列車衝突事故を契機に越前支社の鉄道路線を手放すことを決定。えちぜん鉄道に移管され孤立路線状態は解消し現在に至る。

もっとも、福井鉄道福武線と電化は接続されているものの、現在に至るまで直流600V電化としては2社の路線以外から孤立している。

福井鉄道南越線[編集]

非孤立路線のように描かれた地図もある中、実際は、1981年の廃止まで武生駅を挟んで福武線から孤立していた路線。

静岡鉄道駿遠線秋葉線[編集]

現存路線の静岡清水線と遠く離れ、迂回するも袋井〜藤枝間で国鉄と並立した長大孤立路線。なお、日本坂トンネル開通で石部トンネルが放棄された戦後期に、放棄路盤を使って孤立路線解消が構想されたもののボツ。

豊橋鉄道田口線[編集]

1956年豊橋鉄道に合併されてから、1968年の廃止まで自社の他路線と接続しない孤立路線となった。前身の田口鉄道の株主に宮内省があったから、いっそのこと、名鉄三河線刈谷以北と共に国鉄に戦時買収され、豊川鉄道が少なくとも鳳来寺口以西で私鉄として残れば、今の豊橋付近のJR東海による名鉄の本数圧迫は無く、戦後も鉄道路線のバス化が進んだ名鉄に代わって、香嵐渓紅葉狩りで道路渋滞する足助に国鉄路線が通じる希望がまだあったのに…

三重交通松阪線・神都線[編集]

前述の北陸鉄道同様、三重県内の戦時統合で三重交通の鉄道路線となったため、三重線北勢線、志摩線といった自社の他路線との接続は無かった。

近鉄志摩線[編集]

元々は志摩電気鉄道の路線で、三重交通合併後、他路線乗り入れは国鉄参宮線直通の貨物のみで、三交では孤立路線であったが、近鉄が賢島観光開発と連動して鳥羽線を建設するにあたり吸収合併。しかし、鳥羽線完成までの数年間は近鉄線としても孤立路線であった。

信貴山急行電鉄[編集]

国内に存在した唯一の山上鉄道で、鋼索線以外との接続は図られていなかった。廃止後、車両は鋼索線の線路を使用して山を下り、近鉄の南大阪線、伊賀線に転用された。

京福電気鉄道叡山本線鞍馬線[編集]

1970年代に元田中駅での市電との接続がなくなって以降嵐電とはもちろんのこと、他社路線との接続すらなくなり乗客が減少。1988年に2路線とも叡山電鉄に移管され京福としての孤立路線状態は解消。1989年に鴨東線開業により、他社線との接続が復活して乗客も回復し現在に至る。

南海天王寺線[編集]

南海線と天王寺駅を結ぶ路線として機能したが、新今宮駅開業で旅客の多くが転移し、堺筋線建設で本線と接続する今池町以南の部分廃止後、全線廃線まで南海線として孤立路線だった。廃止後、同線の1521系はクレーンで吊り上げられて高師浜線や和歌山港線に転属してそこで晩年を迎えた。

南海貴志川線[編集]

かつて、南海買収後に和歌山軌道線で本線系統と間接的に接続していたが1971年に廃止。その後貴志川線自体も和歌山電鐵に移管され孤立路線状態は解消した。

淡路交通線[編集]

鉄道連絡船と認知された航路がなかったため、淡路島内で開業から廃止まで一貫して孤立路線だった。

一畑電気鉄道広瀬線[編集]

2事業者の孤立路線だった珍しい路線。1944年に米子側の伯陽電鉄に合併して、1社目の山陰中央鉄道の孤立路線になり、1954年に島根県内の一畑電気鉄道に合併され、1960年の廃止まで2社目の孤立路線になった。また、廃止まで孤立電化路線でもあった。

下津井電鉄線[編集]

1972年3月末で茶屋町〜児島間を廃止して以降、他鉄道線との接続がない孤立路線化。1988年瀬戸大橋線開通で児島に鉄道が再び通じ、「メリーベル」号のバクチを打って誘客を計るも、1990年末で虚しく廃止。

孤立電化・非電化区間の例[編集]

各地の臨海鉄道各社[編集]

茨城県の鹿島臨海鉄道やそれ以外で旅客営業も扱う水島臨海鉄道を含め、接続駅が電化なのにすべて非電化のまま取り残されている。

JR北海道札幌都市圏[編集]

この地区は交流20kVの50Hzで電化されているが、函館本線・室蘭本線しかない新函館北斗 - 小樽・東室蘭間が非電化のため事実上架線が孤立した状態となる。なお、かつては同区間を含め電化計画があったが気動車の性能の向上に伴い立ち消えとなった。

JR仙石線福島交通飯坂線[編集]

東北地方のJR線の電化区間の標準が交流電化となっている中で、孤立して直流電化となっている。

北陸本線(移管済み区間を含む) 敦賀 - 糸魚川間[編集]

国鉄時代に交流電源による電化を進めたため、隣の信越本線や太平洋側の東海道本線とは異なり交流電化で孤立して残されている。かつては田村駅と永原駅、その後も長浜駅までは交流電化だった時期があった。

茨城県内の私鉄・第三セクター各線[編集]

石岡市の地磁気観測所があり、かつ輸送需要が交流電化をするほど多くないせいで、常磐線が交流電化であるのに対し、交流電化されたつくばエクスプレスを除きすべて孤立直流電化・非電化路線となっている。ついでにつくばエクスプレスも土浦延伸の計画が実現するまでJR電化路線との接続がなされず、孤立交流電化となる。

富山地方鉄道各線[編集]

近くを走るあいの風とやま鉄道は交流電化だが、これらはいずれも上記万葉線と同様に孤立して直流電化となっている。かつては本線系統に国鉄車・JR車・名鉄車が乗り入れたが気動車か交直流電車だったため空転が酷い以外の問題はなかった。

JR関西本線 柘植 - 加茂間[編集]

国鉄分割民営化により孤立して非電化となった区間。沿線自治体は複線化・電化を求めているが、輸送密度3桁を招いてしまった以上、上下分離方式の採用(電化前提)でもしない限り孤立非電化の解消は絶望的となる。

JR関西本線 亀山 - 柘植間[編集]

亀山以東や草津線の電化で柘植以西よりいち早く孤立非電化の様相になり、京都と三重県中勢の交通路からも脱落した区間。JR東海への移管(亀山駅で接続する紀勢線が非電化)や旅客逼迫区間を避けるJR貨物援助による電化でもしない限り孤立非電化の解消は絶望的となる。

JR播但線寺前以北[編集]

兵庫県瀬戸内側のJR路線が次々と電化される中で、代表的な孤立非電化区間となっている。
トンネルの狭さで電化できないのが原因のようだが、特急列車設定の歴史がない加古川線が西脇市以北を含め、天災対応名目で全線電化されたことや、下記の鳥越トンネル区間もなんとかして電化されたため、余計に孤立非電化が目立つ区間となっている。

とさでん交通[編集]

高知県内唯一の電化路線であるが故、高松などからの鉄道でのアクセスは非電化区間を経由しないと不可能である。

JR筑肥線[編集]

JR九州唯一の直流電化区間であると共に、JRの電化区間の駅に接続しないため、JR九州の孤立電化路線となっている。

JR予讃線[編集]

過去の事例。現在は伊予市まで電化されているが、それまでの電化を部分的に行ったため、1987年3月23日 - 10月2日までは多度津 - 観音寺間、1990年11月以降は予讃線の現在の電化区間が完成する1993年3月18日まで松山地区の電化が孤立状態にあった。なお、愛媛・香川県境の鳥越トンネルを小断面のまま電化させたのは特筆される。

一畑電車北松江線・大社線[編集]

過去の事例。同区間は山陰本線電化前から電化されていた路線となっており、接続駅の出雲市駅は当初は非電化であった。1982年の山陰本線電化により孤立電化は解消している。

長崎本線諫早 - 長崎間[編集]

ボツになった事例。2022年の西九州新幹線開業に伴い、並行在来線のうち肥前浜 - 諫早間の電化撤去を予定していることと、大村線交流電化が困難な小断面トンネルが存在することから、該当区間が電化撤去されない場合は孤立電化区間となると予測されていたが、同区間も電化撤去の対象であったため孤立電化としてはボツとなった。

もっとも、電化撤去までの間、県内在来線の電化としては小長井 - 諫早間とともに孤立していた。

定山渓鉄道線[編集]

過去の事例。同線は直流1500Vで電化され、接続していた千歳線も苗穂 - 東札幌のみ電化されたが、1957年に電化撤去され、その後は電化路線として孤立していた。1969年の廃止で解消。

松尾鉱業鉄道[編集]

過去の事例。接続路線の国鉄花輪線が非電化で、接続駅であった国鉄の大更駅が当該鉄道廃止時も非電化であったため架線電圧1500Vの異色の孤立電化路線であった。石油脱硫装置普及で該当路線が廃止され解消。

羽後交通雄勝線[編集]

過去の事例。接続路線の奥羽本線が電化される1975年以前に電化路線で、孤立電化路線であり、羽後交通の路線としても孤立路線だった。1971年の該当路線の電化廃止により解消。

山形交通三山線[編集]

過去の事例。接続路線の国鉄左沢線が非電化で、接続駅であった国鉄の羽前高松駅が廃止前も非電化であったため孤立電化路線であり、山形交通の路線としても孤立路線だった。該当路線廃止により解消。

山形交通高畠線[編集]

過去の事例。1929年には電化され、接続駅であった国鉄の糠ノ目駅が非電化であったため孤立電化路線であり、山形交通の路線としても孤立路線だった。1968年の接続路線の奥羽本線の電化により電化孤立は解消したが、廃止まで直流電化としては孤立電化路線だった。

蒲原鉄道[編集]

過去の事例。部分廃止時点で接続路線の磐越西線が非電化で、接続駅であった五泉駅が非電化であったため孤立電化路線であった。該当路線廃止により解消。

法勝寺鉄道[編集]

過去の事例。伯備線電化前において、鳥取県唯一の電化路線となっていたが、当然のごとく接続駅であった国鉄の米子駅が当時非電化であったため孤立電化路線であった。該当路線廃止により解消。

武豊線[編集]

過去の事例。1953年7月21日の東海道本線浜松 - 名古屋間の電化以降、2015年3月まで60年以上もの間孤立非電化として残された。

孤立軌間路線[編集]

各ナローゲージ路線[編集]

正真正銘の孤立軌間路線。現存例では上記北勢線以外にも四日市あすなろう鉄道、黒部峡谷鉄道が該当する。

京急・京成系統各線および都営・メトロの標準軌各線[編集]

正真正銘の孤立軌間路線で、関西の標準軌ネットワークとは著しく距離がある。同様の理由で高松琴平電気鉄道も関西の標準軌ネットワークとは離れている。

京阪電気鉄道各線[編集]

大手私鉄の中でも他の関西標準軌私鉄との線路接続が存在しない事実上の孤立軌間路線。阪神は神戸高速線経由で阪急と、なんば線経由で近鉄と接続する中、京阪電気鉄道は阪神、阪急、近鉄といずれも直接的・間接的な線路接続がない。

かつては丹波橋駅に近鉄との連絡線が存在したが廃止された。

箱根登山鉄道 小田原 - 入生田間[編集]

列車が小田急と共通仕様車となったため、箱根登山鉄道としては、系統分割となった。

近鉄南大阪・吉野線[編集]

吉野線で1984年まで国鉄直通の貨物列車が運行された影響で、近鉄の他の路線と軌間が異なる路線となっている。

阪急なにわ筋・新大阪連絡線[編集]

建設中の区間。計画が二転三転し、最終的に阪急史上初の狭軌で南海等経由で関西空港まで直通の路線になる予定。

関連項目[編集]