定山渓鉄道線
定山渓鉄道線(じょうざんけいてつどうせん)とは、かつて札幌市に存在した私営鉄道路線の事である。
概要[編集]
現在の札幌市白石区、豊平区、南区に通じていた路線。1969年の鉄道事業廃止で、真駒内以南などで自社のバス路線となり、社名も1973年に現在の株式会社じょうてつに改めた。
歴史[編集]
1913年7月に免許が下りた。当初は石材の運搬と木材の運搬が見込まれていた。だが資金調達が難航し、豊平川の堤防決壊とその後の護岸工事の影響もあって、起点が苗穂から白石に変更になった。そして1918年の10月17日に開業した。
東札幌[注 1]から定山渓の間を結び、東札幌から札幌駅まで乗り入れていた時期もあった[1]。
1929年に電化し、蒸気機関車からディーゼルカー、電車に至るまでいろんな車両が集結していたので「鉄道のデパート」と呼ばれていたそうである。なお旅客だけではなく鉱石を運ぶ貨物列車もあった[1]。また、当初苗穂まで電車が乗り入れ、苗穂〜東札幌間は一時国鉄北海道総局の最初の電化区間となっていた。
国鉄からの乗り入れ列車もあり、「月見列車」が当たって盛況を極めた。1946年から10年間、アメリカ軍専用の列車も運行していた[1]。
東急傘下に入った1957年(昭和32年)には札幌駅まで乗り入れている。同時期に路線周辺の宅地化が進んで利用人口が増えた[1]。
しかし、モーターリゼーションの波にのまれて客足は減る。さらに1967年に踏切の多さから、道警により立体化か廃止を迫られる[1]。同年に地下鉄南北線の建設計画が持ち上がり、定山渓鉄道は、市に重なる区間の用地売却を申し出て、1969年に廃止が決まる[1]。
現在の地下鉄南北線の南平岸 - 真駒内間は、ほぼ定山渓鉄道の線路跡に沿って敷設されており、真駒内以北では札幌への鉄路(厳密には「鉄」では無いが)が確保されていると言える。
余談[編集]
昭和50年頃、札幌市長が音頭を取り真駒内から藤野までの定山渓鉄道の線路跡地を利用して孤立区間の路面電車を走らせる計画があったが採算性が取れず断念している。
参考文献[編集]
- 『鉄道ジャーナル 別冊No.5 北海道の鉄道』、1980年8月30日。
脚注[編集]
- 注
- 出典