豊田車両センター
(豊田駅電留線から転送)
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豊田車両センター | |
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配置車両のE233系 | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 東京都日野市 |
鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 首都圏本部 |
所属略号 | 八トタ→都トタ |
最寄駅 | 豊田駅 |
管轄車両 | JR東日本E233系電車 |
旧称 | 豊田電車区 |
開設 | 1963年(昭和38年)11月24日 |
車両基地概要 | |
留置線本数 | 23本 |
検査線本数 | 5本 |
洗浄線本数 | 3本 |
その他設備 | 通路線2本 引上線1本 車両洗浄機1機 車輪転削機1機 |
最大収容両数 | 460両 |
配置両数 | |
電車 | 713両 |
合計 | 713両 |
豊田車両センター(とよだしゃりょうせんたー)とは、東京都日野市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。首都圏本部管轄。
概要[編集]
中央線快速・青梅線・五日市線系統の車両の所属先。所属略号は「都トタ」[注釈 1]。
歴史[編集]
- 1963年(昭和38年)11月24日:豊田駅電留線が供用開始[1]。
- 1965年(昭和40年)10月1日:武蔵小金井電車区豊田派出となる[1]。
- 1966年(昭和41年)11月10日:豊田電車区が発足[1]。当時の略号は「東トタ」。これは東京鉄道管理局に由来する。
- 1969年(昭和44年)3月1日:東京鉄道管理局が分割されて東京西鉄道管理局が設置される。略号は「西トタ」。
- 1971年(昭和46年)2月1日:青梅電車区より車両検修業務移管[1]。
- 1973年(昭和48年)
- 1981年(昭和56年)10月17日:中央線快速系統にて201系の運行が開始される[1]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:115系が三鷹電車区から移管される[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴いJR東日本が継承。東京圏運行本部豊田電車区となる[1]。
- 1990年(平成2年)9月1日:東京地域本社豊田電車区となる[1]。
- 1991年(平成3年)
- 1994年(平成6年)3月14日:車輪添削庫が新設[1]。
- 1997年(平成9年)10月1日:205系500番台が国府津電車区へ移管される[1]。
- 1998年(平成10年)4月1日:八王子支社新設[2]。略号は「八トタ」。
- 2004年(平成16年)3月13日:武蔵野線用の車両が京葉電車区へ移管される。同時に、武蔵小金井電車区所属の車両がすべて豊田電車区へ移管される。
- 2005年(平成17年)5月29日:留置線が一線増線される。[1]。
- 2006年(平成18年)12月26日:中央線快速系統にてE233系の運転が開始される[1]。
- 2007年(平成19年)11月25日:豊田車両センターへ改称。同時に運転士は豊田運輸区へ移管され、武蔵小金井、拝島、青梅の各運転区・電車区は派出所となった。
- 2010年(平成22年)10月14日:201系の定期運行が終了する[3]。
- 2022年(令和4年)7月13日:豊田車両センターとして初のダブルデッカーグリーン車が甲種輸送される。
- 2023年(令和5年)6月1日:車両所属の首都圏本部(旧:東京支社)統合のため、車両所属記号を「八トタ」から「都トタ」に変更。
配置車両[編集]
編成名については略号(トタ)は省略している。
現在[編集]
- E233系(716両)
詳細は「E233系の編成一覧」を参照
- 10両固定のT編成43本(T1 - T42・T71編成)[注釈 2]、4両+6両のH編成17本(H43 - H59編成)[注釈 3]、青梅線・五日市線向けの4両編成8本(P518・青461・青462・P521・青464・P523 - P525編成)、同じく青梅線・五日市線向けの6両編成10本(青660 - 青669編成)、そして順次組み込み予定の新製グリーン車12本分が在籍している。すべて0番台である。T編成は東京-大月・青梅間、H編成は東京-富士山・河口湖間、青編成・P編成は立川 - 奥多摩・武蔵五日市間にてそれぞれ運用される。
- 中央線快速・青梅線・五日市線系統で運用されている。一部列車は富士急行線にも直通する。以前は八高線にも直通していた。
- 209系(20両)
詳細は「209系の編成一覧」を参照
- 10両固定編成2本(81・82編成)が在籍している。双方とも1000番台。
- E233系とは異なり、中央線で使用される。信号装置の関係で東京~高尾・宮ノ平間限定で運用される。そのため運用も基本は97T・99Tの固定運用が割り振られている。
- 201系(1両)
- クハ201-1のみ保留車として在籍している。
- 以前は車輪添削庫近くの留置線に野晒しに近い状態で留置されていたが、現在は留置場所を検修庫内に移し、お色直しもされ綺麗な状態で保存されている。
過去[編集]
- 青梅・五日市線で運用された。
- 1978年までに廃車となった。
- 101系と同じく、中央快速線系統編成と武蔵野線編成が配置された。
- 中央線快速向け編成は1983年(昭和58年)3月までに撤退。201系の導入が進んだため、他の103系よりも早い置き換えとなった。
- 青梅・五日市線向けの編成は2002年(平成14年)までに三鷹電車区から転入してきた201系によって置き換えられた。
- 武蔵野線向け編成は205系と共に2004年(平成16年)3月13日付で京葉電車区へ移管された。
- また、1991年から1995年まで低運転台の3連1本、1995年から2001年まで高運転台の4連1本の訓練車が配置されていた。
- 中央本線向けのM1~12編成(3両編成)、波動用のM40編成(6両編成)、訓練車のW2編成(4両編成)が配置されていた。塗装は全編成スカ色。
- 中央本線向けの編成は長野総合車両センターの211系N編成に運用が移管されたため、2015年に撤退した。
- 訓練車のW2編成はM40編成の中間車3両を組み込み2014年(平成26)1月27日に長野へ回送され翌日付で廃車となった。残ったM40編成3両も同年7月に長野へ回送され廃車となった。
- 2002年に松本運転所(現・松本車両センター)から転入したM50編成、2013年に大宮総合車両センターから転入したM51・M52編成が所属していた。いずれも6両編成で波動用として運用されていた。
- M50編成はあずさ色、M51編成は国鉄特急色、M52編成はグレードアップあずさ色となっていた。
- 2018年全廃。
- 201系(クハ201-1を除く)
- 中央快速線系統向けに運用された。
- 当初はT編成(10両固定編成)が16本のみ配置されていたが、2004年に中央快速線向けの201系が豊田に集約され、T編成34本、H編成(10両分割編成)25本の陣容となった。
- 2001年には青梅・五日市線の103系置き換え用として、三鷹から120両が転入した。
- E233系が導入された際に、T編成の編成番号のうちT1~T34が重複するため、一部編成を除いて既存の編成番号に100を足した番号に改番された。また、編成組み換えを行わなかった一部のH編成についても編成番号がT100番代に改番かれた。
- 2008年3月に青梅線・五日市線で、2010年(平成22年)10月14日に中央快速線での定期運行を終了した。
- 武蔵野線向け編成と相模線向け編成が配置された。
- 相模線向け編成は1991年(平成3年)3月16日に相模線電化開業のため配置されたが、1996年(平成8年)12月1日に横浜支社発足したため国府津電車区へ移管された。
- 武蔵野線向け編成は、1991年に新製投入されたメルヘン顔の編成と、103系置き換え及び増発のために山手線などから転入してきた原型顔の編成が在籍していた。2004年(平成16年)3月13日付で103系と共に京葉電車区へ移管された。
他所属車両留置[編集]
松本車両センターのE353系や、長野総合車両センターの211系N編成、京葉車両センターの209系・E231系などが留置される時間帯や場合があり、過去には鎌倉車両センターのE259系なども留置することがあった。
また2021年までは、幕張車両センター所属のE257系500番台が豊田車両センターに常駐し、臨時のホリデー快速や富士急行線直通列車などの波動輸送に利用されていた。ファンの間では豊田常駐と呼ばれて親しまれていたが、5500番代の改造によってこの常駐運用は消滅している。