日野市
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概要[編集]
人口は18.8万人と、隣の立川市の18.5万人とほぼ同じである。ただし面積は広く、自然も多く残る。日野自動車の本社がある。[1]
市内の北部を多摩川、中央を浅川が流れ浅川より南部は多摩丘陵となっている。高幡不動尊、多摩動物公園、百草園など観光スポットが多く存在する。
日野市の来歴[編集]
713年(和銅6年)に火野を日野に改めたとされる。江戸時代は甲州街道宿場町の日野宿であった。1989年(明治22年)、当時は神奈川県であった多摩地域に日野宿、桑田村、七生村が生まれた。1893年(明治26年)、多摩地域は神奈川県から東京都に編入され。その後日野宿は日野町と名称が変更された。1901年(明治34年)に桑田村を併合し、1958年(昭和33年)には七生村と合併し、日野町となる。1963年(昭和38年)に日野市となる。
新選組のふるさと[編集]
日野市は「新選組のふるさと」と言われるとおり、新選組関係の観光名所が多数ある。新選組副長土方歳三の生家は「土方歳三資料館」となっており、新撰組の後援者である佐藤彦五郎の屋敷は「日野宿本陣」であり、佐藤彦五郎関連資料は佐藤彦五郎新選組資料館に展示される。新撰組最古参の隊士で六番隊組長の井上源三郎の生家は井上源三郎資料館となっている。日野市立新選組のふるさと歴史館は新選組資料を集めた常設展示を行っている。土方歳三の墓碑は石田寺に土方歳三義豊之碑が建つ。
産業[編集]
日野5社[編集]
昭和恐慌後、市制前の日野町は工場誘致に躍起になり、工業が盛んになった。
以下が、戦後「日野5社」と呼ばれるようになった。
しかし1970年代に神鋼電機が撤退。近年日野自動車も工場を撤退させている。
交通[編集]
鉄道
- JC 中央快速線 日野駅・豊田駅
- KO 京王線 百草園駅・高幡不動駅・南平駅・平山城址公園駅
- KO 京王動物園線 高幡不動駅・多摩動物公園駅
- TT 多摩都市モノレール 甲州街道駅・万願寺駅・高幡不動駅・程久保駅・多摩動物公園駅
道路
観光地[編集]
隣接市町村[編集]
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ↑ かつては工場もあったが移転している。