黄禍論
黄禍論 (おうかろん、こうかろん)とは、かつて唱えられた、モンゴロイド(黄色人種)への脅威論である。
名称[編集]
「黄」とは、黄色人種(モンゴロイド)のことである。
概要[編集]
モンゴロイドが再び力をつけてコーカソイド(白色人種)に対抗するのではないかと主張する意見であり、具体的には、コーカソイドの国家に移民してきたモンゴロイド(黄色人種)がコーカソイドの職を奪い、それで得た賃金を故国に送金してモンゴロイド(黄色人種)の国家が安くて品質の高い製品を輸出してコーカソイド(白色人種)の製品を駆逐し、さらにそれで利益を上げたモンゴロイド(黄色人種)の国家が近代兵器を大量生産して軍隊を訓練し、コーカソイド(白色人種)の国家を侵略するということである。当初は清を念頭に置いていたが、日清戦争、日露戦争の大日本帝国の勝利によって対象は大日本帝国となった。
歴史[編集]
19世紀、世界はコーカソイド(白色人種)の国家によって支配され、モンゴロイド(黄色人種)やネグロイド(黒色人種)の国家は植民地か半植民地とされてしまった。しかし、かつてはモンゴル帝国[注 1]やティムール帝国[注 2]といったモンゴロイドによる強力な国家が誕生したこともあり、また、オスマン帝国(オスマン家はモンゴロイド(黄色人種)であったが、長年にわたってコーカソイドとの混血により、コーカソイドに近くなっている。)[注 3][注 4][1]がバルカン半島を数百年の間領域としたこともあったため、モンゴロイド(黄色人種)が再び力をつけてコーカソイド(白色人種)に対抗するのではないかと主張する意見もあった。[注 5]その意見は、日清戦争をきっかけに、ロシア・ドイツ・フランスを中心に広まった。[2]そして、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世はドイツと敵対していたロシアを極東に注目させ、更にロシアと同盟関係にあったフランス相手にドイツのヨーロッパにおける立場を有利にすることを画策し、ヴィルヘルム2世自ら原画を書いた絵画『ヨーロッパの諸国民よ、諸君らの最も神聖な宝を守れ』によって世界に広がった。[3]
反論[編集]
これに対し、当然のことながら日本側では批判が起こった。思想家の岡倉天心は「白人こそが、軍隊とキリスト教で黄色人種を脅かす存在だ(=白禍論)」と唱えた。これに対して、欧米でも共感が広がった。そして、桑原隲蔵は「白人は今日でも自分勝手に世界の最優等人種で、世界を支配すべき特権あるが如く信じて居る。」と唱えた。
終息[編集]
第二次世界大戦では連合国、枢軸国双方にモンゴロイド(黄色人種)国家が参加したので黄禍論は叫ばれなくなった。
中国脅威論[編集]
21世紀に中華人民共和国が経済的にも軍事的にも巨大化したが、かつての人種差別への反省から人種への脅威についての論争はなされず、単なる巨大国家への脅威に過ぎなくなった。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ jawp:帝国の最大領域一覧では2位である。
- ↑ モンゴル帝国の継承政権のひとつであり、最盛期には、版図は一時的な占領地域も含むとクリミア半島やアナトリア半島の西端にまで及んだ。
- ↑ なお、オスマン帝国 はテュルク系による国家であるが、トルコ人はモンゴロイド(黄色人種)の遺伝子を僅かに含んだコーカソイド(白色人種)である。出典:https://journals.plos.org/plosgenetics/article?id=10.1371/journal.pgen.1005068,jawp:テュルク系民族
- ↑ 「1968年発行の学習研究社の図鑑にも黄禍論についてモンゴル帝国とオスマン帝国について書かれていた」という発言をすみっコぐらし2氏は行っており、モンゴロイド(黄色人種)とされることもある。
- ↑ 例えば、排華移民法など
出典[編集]
関連項目[編集]
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