裏アカシック・レコード
裏アカシック・レコードは柞刈湯葉のSF作品。論文の体裁を取っているため、本稿では以降「先行研究」と呼ぶ[注 1]。
本稿はself-containedではなく、読者はすでに先行研究を通読していることを前提とする[注 2]。
先行研究に対する疑問点[編集]
まず気になったのは、裏アカシック・レコードのごく一部にアクセスすることしかできておらず、全貌の解明にはほど遠いのに「すべての嘘が収録されており(完全性)、真実はひとかけらも含まれていない(健全性)」ことをどうやって確認したのかという点である。これまで反例が見つかっていないだけにすぎないのにエネルギー保存則が信じられているのと同様なのかもしれないが、物理学ならそれで十分でもP≠NPの証拠とするには心もとないと言わざるを得ない。しかしこれを疑っていたら話が進まないので、ひとまずシッダールタ・ラーマンかアンゲラ・ヘンリッヒあたりの画期的な研究によりこの前提は完璧に証明されているとでもしておこう。
嘘つき文のパラドックス[編集]
そうすると「この文は裏アカシック・レコードに収録されている」という文は裏アカシック・レコードに収録されているのかどうかという疑問が直ちに浮かぶ。収録されていれば裏アカシック・レコードの健全性に反するし、収録されていなければ裏アカシック・レコードの完全性に反する。
不完全性[編集]
解決策の1つとして、裏アカシック・レコードには嘘であるにもかかわらず収録されていない文が実は存在するという仮説が考えられる(レコード不完全性仮説)。ある嘘が収録されていなくても有限時間の検索でそれを証明することはできないから問題は発生しない。裏アカシック・レコードに真実であるにもかかわらず収録されている文が存在するならば、先行研究中で述べているようなヒトラーの死亡確認やP≠NPの確認は意味をなさないことになるので、裏アカシック・レコードの健全性は成り立つものとする。
不確定性[編集]
前節では純粋数学的な解決を探ったが、裏アカシック・レコードの検索には物理現象を用いることに着目した物理学的アプローチも考えられる。たとえば、論理原子から構成される文はアカーシャ界において収録と非収録の重ね合わせ状態にあり、検索で発見されたときに収録状態が確定するという量子力学的な解釈である。非収録の文は発見されることがないから非収録状態が確定することはなく、パラドックスを回避できる。
検索時間の再現性と未来の予言[編集]
次に気になったのは「同じ文を検索したとき収録が確認されるまでの時間には厳密な再現性がある」ことと「『明日ビットコインが上昇する』という文を検索して見つかった瞬間にビットコインを買えば確実に儲かる」ことは明らかに両立しない点である。そもそも「明日」の起点はどこなのだろうか。先行研究でも少し触れられているとおり、曖昧さ排除のために実際には具体的な日時を指定して検索しているのかとも考えたが、それでは「見つかった瞬間に」と矛盾する。本稿ではこの問題についてはこれ以上掘り下げず、問題提起に留める。
検索時間の短縮[編集]
先行研究では少しでも早く検索できる文の構築が求められているもその実現については成果が上がっていないとしている。本節ではそれを解決する手法を具体的に示す。文Pが真であるかどうか5秒以内に調べたいなら、以下の文Qを検索すればいい。
Q:「Pならば、この文を裏アカシック・レコードで検索すると5秒以上かけて見つかる」
- (定理1)
- 裏アカシック・レコードが完全ならば、Qを検索したときPが真ならば5秒以内に収録確認のシグナルが発生し、偽ならば発生しない。
- (証明)
- Pが偽の場合、Qは後半(「ならば」以降)の内容に関わらず真になるので、裏アカシック・レコードの健全性によりQは収録されていない。よってQを5秒検索しても見つかることはない。
- Pが真でQが収録されていない場合、「見つかる」は嘘なので、Qは偽であるにも関わらず裏アカシック・レコードに収録されていないことになり、裏アカシック・レコードの完全性に反する。よってPが真ならばQは収録されていなければならない。
- Pが真でQが裏アカシック・レコードで検索したとき見つかるまで5秒以上かかる位置に収録されている場合、Qは真であるにもかかわらず裏アカシック・レコードに収録されていることになり裏アカシック・レコードの健全性に反する。よってPが真ならばQは検索して5秒以内に見つからなければならない。
- Pが真でQが5秒以内に見つかる場合、「5秒以上かけて」が嘘であるから、単に偽の文が裏アカシック・レコードに収録されているだけであり、問題は生じない。■
次に念のため、レコード不完全性仮説について考察する。定理1の証明で、裏アカシック・レコードの完全性はPが真でQが収録されていない場合にしか使っていないことに注意されたい。
- (定理2)
- 裏アカシック・レコードが完全でなくとも、いかなる文を検索しても、それがQの形をした文でPの部分が真であり裏アカシック・レコードに収録されていない文となることはない。
- (証明)
- Qが裏アカシック・レコードに収録されていないがPは真である文だと仮定する。ただしわれわれにはPが偽である場合とは区別がつかない。ここでQ':「Pでないならば、この文を裏アカシック・レコードで検索すると5秒以上かけて見つかる」を検索すると、「Pでない」は偽だからQもQ'も5秒以内に見つからない。したがってQとQ'のどちらかは偽であるにもかかわらず裏アカシック・レコードに収録されていない文であることがわかる。そのような文の存在が有限時間で証明されてしまうことになり、「裏アカシック・レコードに収録されていない偽の文が存在しても有限時間の検索でそれを証明することはできない」という前提と矛盾する。よっていかなる文を検索してもそれがQの具体例となることはない。■
定理2は、無矛盾だがω矛盾した理論の性質をどこか思わせるかもしれない。
- (定理3)
- Qを検索したときPが真ならば5秒以内に収録確認のシグナルが発生し、偽ならば発生しない。
- (証明)
- 定理1と定理2より直ちに従う。■
以上により、裏アカシック・レコードを使って任意の質問の答えが5秒以内に得られる。先行研究では否定文は収録が遅い傾向にあり複文はほとんど見つかったことがないとしているが、あくまでも傾向に過ぎず(Pが真ならば)見つからなければ矛盾するのだから、早く見つかることには何の問題もない。
言うまでもないが、文Qの「5秒」の部分はいくらでも小さい数値にできるので、検索時間は任意に短縮できる。
レコード収録密度問題[編集]
Qの形をした文のうちPの部分が真であるものは無数に存在し、そのすべてが5秒以内に検索できなければならないので、レコード収録密度問題の答えは「有限ではない」になる。1秒間に無数の文を検索できるのに見つかるまで1秒以上かかる文があるのは奇妙に思われるかもしれないが、たとえば数直線上を秒速1cmで移動する点は1秒間に無数の有理点を通過するにもかかわらず、数直線上には到達するまで1秒以上かかる有理点が存在することを考えればおかしなことではない(ここで有理点に限定したのはアカーシャ連続体説を採用しなくともよいことを示すためだが、もちろん有理点に限る必要はない)。
まとめ[編集]
本稿では先行研究の疑問点を掲げ、先行研究で未解決だった高速に検索できる文の構築手法とレコード収録密度問題の答えを示した。本稿が裏アカシック・レコードを検索するレーザー装置の消費電力の節約、ひいては地球温暖化の防止に資すれば幸いである。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ CiNii. “裏アカシック・レコード | CiNii Research”. 2022年12月24日確認。
- ↑ 柞刈湯葉 (2022年5月17日). “星雲賞候補作「裏アカシック・レコード」への自己言及]”. 2022年12月24日確認。
参考文献[編集]
- 柞刈湯葉「裏アカシック・レコード」、『SFマガジン』第62巻第3号、早川書房、2021年6月、 。
- 柞刈湯葉 「裏アカシック・レコード」『異常論文』 樋口恭介、ハヤカワ文庫JA、2021年10月。ISBN 978-4150315009。
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