七日市藩
ナビゲーションに移動
検索に移動
七日市藩(なのかいちはん)は、江戸時代初期から明治時代初期まで上野国甘楽郡に存在した藩。藩庁は七日市陣屋。藩主家は外様大名の前田氏。石高は1万石。現在の群馬県富岡市七日市に存在した。
概要[編集]
慶長3年(1598年)8月の豊臣秀吉の死後、天下の覇権を目指す徳川家康は、慶長4年(1599年)にライバルの前田利家の死後、その跡を継いだ前田利長を抑えるため、加賀征伐を計画した。利長は慌てて陳弁に努め、家康に身の潔白を示すために生母の芳春院と異母弟の利孝を人質として差し出した。利孝は江戸で幼年期を過ごし、江戸幕府に従って大坂の陣に参加し、元和2年(1616年)にその功績によって上野国甘楽郡に1万石を与えられて加賀藩とは別に大名として昇格し、七日市に陣屋を構えたことから七日市藩が立藩した。
寛文4年(1664年)に領内の総検地を実施している。歴代藩主のほとんどは各地の城の守衛を務めたりしている。
第11代藩主・前田利豁は天保13年(1842年)に家老の保坂庄兵衛、大里半右衛門に命じて藩校・成器館を創設した。この藩校は安政年間に焼失しているが後に復興している。幕末の元治元年(1864年)の水戸藩浪士の天狗党の乱の際には、高崎藩と協力して戦うも敗北している。
明治2年(1869年)に版籍奉還を迎え、明治4年(1871年)の廃藩置県によって七日市藩は消滅した。
歴代藩主[編集]
- 前田家
外様 1万石
代 | 氏名 | 官位 | 在職期間 | 享年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 前田利孝 まえだ としたか |
従五位下 大和守 |
元和2年 - 寛永14年 1616年 - 1637年 |
44 | 父は前田利家。 |
2 | 前田利意 まえだ としもと |
従五位下 右近大夫 |
寛永14年 - 貞享2年 1637年 - 1685年 |
61 | |
3 | 前田利広 まえだ としひろ |
― | 貞享2年 - 元禄6年 1685年 - 1693年 |
49 | |
4 | 前田利慶 まえだ としよし |
― | 元禄6年 - 元禄8年 1693年 - 1695年 |
26 | |
5 | 前田利英 まえだ としふさ |
― | 元禄8年 - 宝永5年 1695年 - 1708年 |
18 | 前藩主利慶の同母弟。 |
6 | 前田利理 まえだ としただ |
従五位下 丹後守 |
宝永5年 - 宝暦6年 1708年 - 1756年 |
58 | 実父は旗本・前田孝始(初代藩主利孝の孫)、 実母は前田利意の三女。 |
7 | 前田利尚 まえだ としひさ |
従五位下 大和守 |
宝暦6年 - 天明2年 1756年 - 1782年 |
61 | |
8 | 前田利見 まえだ としあきら |
従五位下 右近将監 |
天明2年 - 天明6年 1782年 - 1786年 |
23 | |
9 | 前田利以 まえだ としもち |
従五位下 大和守 |
天明6年 - 文化5年 1786年 - 1808年 |
61 | 実父は加賀大聖寺藩5代藩主の前田利道。 |
10 | 前田利和 まえだ としよし |
従五位下 大和守 |
文化5年 - 天保10年 1808年 - 1839年 |
49 | 実父は旗本・前田武宣(7代藩主利尚の弟)。 |
11 | 前田利豁 まえだ としあきら |
従五位下 丹後守 |
天保11年 - 明治2年 1840年 - 1869年 |
55 | 実父は越中富山藩9代藩主の前田利幹。 |
12 | 前田利昭 まえだ としあき |
― | 明治2年 - 明治4年 1869年 - 1871年 |
47 |
幕末の領地[編集]
関連項目[編集]
関連書籍[編集]
- 『七日市藩和蘭薬記』(たなか踏基 著、幻冬舎ルネッサンス発行)
エンペディア 節目の記念記事 |