徳川家慶
徳川 家慶(とくがわ いえよし、寛政5年5月14日(1793年6月22日) - 嘉永6年6月22日(1853年7月27日))は、江戸幕府の第12代征夷大将軍。権大納言、右近衛大将、内大臣、従一位、左近衛大将、左大臣、征夷大将軍、贈正一位太政大臣。
生涯[編集]
第11代将軍・徳川家斉の次男として江戸城で生まれる。幼名は敏次郎(としじろう)。長男の竹千代は家慶が生まれた年に早世したため、家慶が嫡子となる。母は側室のお楽の方(香琳院)であった。
家斉は子供を多く成したが、その子供のほとんどは早世するかあるいは成人しても子孫を残せない者が多かった。そんな中で家慶のみは例外だったようで、壮健で記録によると28歳のときに天然痘を患って一時期重症化した以外は特に病歴も無かった[1]。しかし家斉との仲はあまり良くなかったのか、40歳を過ぎても将軍職が譲られることは無かった。これは家斉が60歳を過ぎても壮健だったことが理由とも思われる。
天保8年9月2日(1837年10月1日)に父から将軍職を譲られて第12代将軍に就任するが、実権は大御所となった家斉とその側近が掌握した。このため、家斉存命中はただの傀儡でしかなかったが、天保12年(1841年)に家斉が死去すると直ちに親政を開始し、家斉派の側近や大奥女中らを残らず処罰して実権を掌握する。
老中の水野忠邦を重用して天保の改革と称される幕政改革に着手するが政策が時代遅れであったことや言論弾圧が厳しすぎたことなどから不評であり、着手してわずか2年後に水野が発令した上知令が諸大名・旗本などから大反対の声が上がると家慶は水野を見限って老中職を解任して失脚させた。
次に土井利位を老中に用いたが、土井が外交問題などに対処できないためこれも解任し、再び水野を登用している。しかし水野の再起用には幕臣の多くから反対があったため、外交問題に決着をつけると今度は当時わずか25歳の若さであった阿部正弘を老中に起用し、水野や天保の改革で水野に協力した鳥居耀蔵らを処罰した。
以後、家慶は幕政を阿部に一任して自らはほとんど関与しようとはしなかった。唯一関与したのが後継者問題である。家慶も家斉に負けず14男13女と子に恵まれたが、その子供の多くは成長できずに早世した。唯一成長したのが4男の家定であったが家定も病弱で、しかも到底能力的には将軍職に耐えられる器とは見られなかったため、家慶は水戸藩主・徳川斉昭の子である慶喜に一橋徳川氏を相続させて養子に迎えて後継者にしようと画策した。だが、斉昭が過激な攘夷論者で藩政でも問題があったことなどから阿部の反対を受けて断念せざるを得なくなった。
晩年の家慶は年齢からなのか頭痛が慢性化して健康不安の問題も出ていたが、嘉永6年(1853年)にマシュ・ペリーが来航(黒船来航)して政情が一気に混乱する中で、江戸城中において倒れた。記録によると霍乱とあり、暑気あたりすなわち熱中症であると考えられている。この年の夏は酷暑で江戸市中でも熱中症で倒れる者が多かったという。家慶は熱中症で衰弱し、病床に臥してからわずか3日後に死去した[2]。61歳没。
将軍職は4男・家定が継承した。
人物像[編集]
- 家慶は幕政を積極的に主導しようとしなかったため、4代家綱同様、「そうせい様」と称された。
- 家慶の現在残っている肖像画では大変頭が大きく、顎も大きく6頭身だったという。身長は155センチと小柄だったと言われ、その見た目の特異さは他の将軍の誰よりも目立っている。
- 天保の改革で生姜が贅沢品だということで水野が倹約の対象にしたため、家慶はこれを激怒して水野に怒りを見せた。慌てて水野は生姜を対象から外したが、家慶はその代償として将軍直々に宇都宮の日光東照宮参詣を行ない、生姜ひとつが多くの出費を要することになったという。
- 子供の数が27名と鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府の歴代将軍の中で家斉に次ぐ2位である。ただし父親と違って側室の数はそれほど多く無いため、家斉のように女狂いというわけではなかったようであり、成人した子女も少ない。
子女[編集]
- 正室:楽宮喬子女王(浄観院)(有栖川宮織仁親王王女、1795年 - 1840年)
- 長男:竹千代(1813年 - 1814年)
- 次女:儔姫(1815年)
- 三女:最玄院(1816年)
- 側室:お久(清涼院)(押田勝長娘、? - 1847年)
- 側室:お加久(妙華院)(太田資寧娘、? - 1826年)
- 側室:お美津(本寿院)(跡部正賢娘)
- 側室:お波奈(菅谷政徳娘)
- 側室:お筆(殊妙院)(稲生正方娘、? - 1844年)
- 側室:お金(見光院)(竹本氏娘、? - 1843年)
- 七女:里姫(1833年 - 1834年)
- 九女:吉姫(1836年 - 1837年)
- 十女:万釵姫(1839年 - 1840年)
- 十一男:照耀院(1843年)
- 側室:お琴(妙音院)(水野忠啓娘、杉重明養女)
- 側室:お津由(秋月院)
- 十三男:斉信院(1849年)
徳川家慶が登場する作品[編集]
- 映画
- テレビドラマ
- 『大奥』(1968年、関西テレビ・東映、演:松内紀夫→池部良)
- 『江戸を斬る』シリーズ(TBSナショナル劇場)
- 『お命頂戴!』(1981年、テレビ東京・歌舞伎座テレビ、演:伊吹吾郎)
- 『源九郎旅日記 葵の暴れん坊』(1982年、テレビ朝日・東映、演:田村高廣)
- 『翔ぶが如く』(1990年、NHK大河ドラマ、演:加藤治)
- 『徳川慶喜』(1998年、NHK大河ドラマ、演:鈴木瑞穂)
- 『大奥』(2003年、フジテレビ、演:高橋弘志(スペシャル版では大杉漣))
- 『篤姫』(2008年、NHK大河ドラマ、演:斉木しげる)
- 『松本清張スペシャル かげろう絵図』(2016年、フジテレビ・東映、演:石橋保)
- 漫画
参考文献[編集]
参考文献[編集]
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