胆沢城

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胆沢城(いさわじょう)とは、現在の岩手県奥州市水沢佐倉河八幡にかつて存在した日本である。

概要[編集]

東北地方奈良時代蝦夷が支配していたが、京都桓武天皇はこれを制圧するために紀古佐美に5万の軍勢を与えて蝦夷討伐を行わせるも敗北する。このため、延暦13年(793年)に坂上田村麻呂を新たに派遣して蝦夷を破り、延暦21年(801年)に田村麻呂は胆沢城を築城した。築城から程なくして鎮守府多賀城から移され、多賀城と共に奥州経営のための重要拠点として機能したという。

大正11年(1922年10月に国の史跡に指定された。

昭和29年(1954年)から継続的に行われた発掘調査で、一辺670メートル四方の築地土塀や政庁の跡、南門と政庁前門が確認されたほか、当時の状況を伝える漆紙文書などが発見された。

アクセス[編集]

外部リンク[編集]