胆沢城
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胆沢城(いさわじょう)とは、現在の岩手県奥州市水沢佐倉河八幡にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
東北地方は奈良時代、蝦夷が支配していたが、京都の桓武天皇はこれを制圧するために紀古佐美に5万の軍勢を与えて蝦夷討伐を行わせるも敗北する。このため、延暦13年(793年)に坂上田村麻呂を新たに派遣して蝦夷を破り、延暦21年(801年)に田村麻呂は胆沢城を築城した。築城から程なくして鎮守府が多賀城から移され、多賀城と共に奥州経営のための重要拠点として機能したという。
昭和29年(1954年)から継続的に行われた発掘調査で、一辺670メートル四方の築地土塀や政庁の跡、南門と政庁前門が確認されたほか、当時の状況を伝える漆紙文書などが発見された。
アクセス[編集]
- 水沢駅からバスで15分。