里克

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里克(りこく、? - 紀元前650年)は、中国春秋時代大臣[1]献公亡き後のクーデターで主導的役割を果たしたが、自らが迎えた新君主の恵公によって殺害された。

生涯[編集]

晋の正卿(執政大臣[1]。献公に仕えていたが、献公の寵姫の驪姫の陰謀で申生が殺され、文公・重耳(第24代晋公)と恵公・夷吾(第22代晋公)らが追放されたのを恨んで密かに3公子に連なる仲間を集めてクーデターを計画した。紀元前651年に献公が死去すると、驪姫との間の子である奚斉が後継者となったので、丕鄭ら仲間と共に反乱を起こして奚斉を殺した。宰相荀息が驪姫の妹を母とする悼子を擁立するとこれに反対して悼子も殺し、荀息はこれに殉じたので、国の実権を掌握した[2]

里克は国内で人望が未だに厚い重耳の即位を望み、亡命先から帰国するように要請したが重耳は拒否した[1][2]。このため重耳の弟である夷吾に帰国を要請し、夷吾は帰国して恵公として即位した[2]

ところが恵公は即位にあたって功労のあった里克に約束していた汾陽の土地を与えず、里克が重耳を帰国させて自らに対して反乱を起こすのではないかと疑った[2]。そして紀元前650年、2人の君(奚斉・悼子)と1人の大夫(荀息)を殺した大罪人として里克は自殺に追い込まれた[2]。里克の死後、丕鄭らクーデターと恵公擁立に功労のあった仲間も全て殺され、恵公はこれで大いに民心を失ったという[3]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.565
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.194
  3. 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.195

参考文献[編集]