テレビ東京
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 106-8007 東京都港区六本木3-2-1 住友不動産六本木グランドタワー内 |
設立 | 1968年7月1日 |
事業内容 | テレビ放送 |
代表者 | 代表取締役会長 小孫茂 代表取締役社長 石川一郎 |
外部リンク | テレビ東京 |
特記事項:日本科学技術振興財団テレビ放送事業部による放送開始は、1964年4月12日 | |
テレビ東京 (テレビとうきょう、英語: TV TOKYO Corporation) は、関東広域圏を放送対象地域とする日本の特定地上基幹テレビ放送事業者。リモコンキーIDは7。略称TX。
概要[編集]
日本科学技術振興財団(以下、財団)傘下の工業技術教育専門のVHFテレビ局、東京12チャンネルとして1964年に放送開始。しかし短期間で財団は経営に行き詰まり、1968年には後述のように大阪の毎日放送などの出資で設立した「東京十二チャンネルプロダクション」(以下、東京十二チャンネル)が番組制作支援を行った。1973年10月までは教育専門局扱いだったが、一般局転換時に財団から放送免許が東京十二チャンネルに譲られ、社名を株式会社東京12チャンネルと改名、さらに1981年に現社名に改めた。
東京の旧VHF民放5局(いわゆる在京広域5局)でもっとも視聴率が芳しくない局として知られフジテレビと並ぶ。このため、在京広域他4局と比べ独自色が強い。
番組の傾向[編集]
隙間ビジネスを得意として、制作費がかからず安価で枠を売ることができる経済ニュース・アニメ・通販番組・韓流ドラマなどを主とし、演歌番組の放送も盛んである。1980年頃は無名時に出演して人気が出たタレントを、ギャラの相場の上昇を理由に止むを得ず降板させることもあった(ビートたけしなど)。
全国的な大ニュースが飛び込んだ場合もNHKや他局より早々に報道特別番組を引き揚げることが多い。
自社制作ドラマも独自色が強く、かつては年始の長時間のスペシャルドラマの放送で知られた。
- 関東ローカル番組
- ハーフタイムツアーズ
- 韓流プレミア
- なないろ日和!(9時59分まで)
- そこ曲がったら、櫻坂?
- 日向坂で会いましょう
ネットワーク[編集]
- 在阪局腸捻転解消以前
経営不振時の番組制作会社である「東京十二チャンネルプロダクション」の出資を仰いだことから、大阪毎日放送との結びつきが強く、「ヤングおー!おー!」など東京12チャンネルでネットしていた番組があった。ニュースは朝日新聞の協力だった。
- テレビ大阪開局以前
腸捻転解消で毎日放送が「JNN協定」の拘束が強いTBS系列に乗り換えたため、サンテレビやKBS京都など、関西・東海の独立U局との繋がりが強くなった。同時に、ニュースも日本経済新聞の協力となった。
- メガTONネットワーク発足
1981年日経主導で系列局のテレビ大阪が開局したため、大阪府内で競合するサンテレビやKBS京都への番組供給を打ち切った。1983年には日経・中日合資の系列局テレビ愛知が開局。この時は隣接県の三重テレビの番販縮小は無かったが、徐々に同時ネットを縮小。東名阪で系列が揃ったため全国5番目の民放ネットワーク「メガTONネットワーク」が発足した(メガTONは「メガロボリス東京、大阪、名古屋」の意味)。1985年には放送対象地域の統合で2県エリアとなった岡山・香川(瀬戸内広域圏)に日経・山陽合資のメガTON系列4局目のテレビせとうちが開局した(ネットワーク名はTに高松、Oに岡山を充てて「メガTON」のまま。)。
- TXNネットワークへ
その後、北海道のテレビ北海道、福岡県のTXN九州への系列局拡大が決まり、「メガTON」と実情が合わなくなるため、1989年にTXNネットワークと改めた。TXNネットワークはニュース以外の番組供給協定も兼ねているため、昭和期にフジテレビやテレビ朝日が推進していた既存地方民放局とのクロスネットには消極的であり、ぎふチャン、奈良テレビ放送など系列局とエリア競合しない独立局への番組同時ネットもネットワーク組織を背景としていない。
映画[編集]
不況、番組の質の低下や時間の拘束のないYouTubeやNetflixなどの動画配信の普遍化で近いうちに民放テレビ局は倒産[注釈 1]するのではないかと言われている。
だが、テレビ東京では2010年にすでにテレビ局が倒産するという近未来映画を公開している。「お墓に泊まろう!」という題名[注釈 2]で、テレビ東京が倒産し葬儀社に買収され社長が亡くなるという衝撃作である[1]。
所在地[編集]
アナウンサー[編集]
詳細は「テレビ東京のアナウンサー一覧」を参照
関連項目[編集]
脚注[編集]
- 注釈
- 出典
外部リンク[編集]
日本の地上波民放テレビ局 |