朝日新聞
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朝日新聞(あさひしんぶん)は朝日新聞社が刊行する新聞である。日刊であり、朝刊、夕刊がある。全国紙のひとつで、読売新聞社の読売新聞に次いで販売部数業界2位。
歴史[編集]
- 1879年、大阪府で創刊。
- 1888年、東京朝日新聞が創刊。
- 1889年、上述の東京朝日新聞と分けて、大阪本社の発行新聞を大阪朝日新聞に改題。
- 1904年、名物コーナー天声人語が開始される。
- 1907年、夏目漱石が入社。
- 1915年、「外地版」と題して朝鮮半島で刊行開始。当初は朝鮮の鮮と満州(満州国)の満の2字を取って朝日新聞「鮮満附録」と称した。
- 1918年、前述の外地版が正式に「鮮満版」と改称した。
詳細は「朝鮮朝日」を参照
- 1921年、漫画欄が新設された(東京朝日新聞のみ)。
- 1933年、台湾版が刊行された。
- 1935年、九州および愛知県名古屋市に支社設立、同地域で刊行が開始された。
- 1940年、大阪朝日新聞と東京朝日新聞の名称を統合、現在の『朝日新聞』に統一した。
- 1944年、太平洋戦争の戦時下において夕刊が休止した。
- 1945年、終戦によせて新聞紙面を戦意高揚などの戦争継続目的に利用したことを認め、自ら戦争責任があったことを告白し、国民に寄り添うべく新聞の新たな使命としての新しい戦後社是を掲載した。9月18日に連合国軍総司令部(GHQ)の命令で、2日間の発行停止を命じられる(理由は米軍の原爆使用を「国際法違反、戦争犯罪とする鳩山一郎の談話を載せたことが理由とされている)。
- 1949年、夕刊が5年ぶりに復刊。サザエさんが連載開始される。
- 1950年、昭和の三大誤報として知られる伊藤律会見報道事件発生。
- 1959年、北海道で刊行開始。
- 1960年、安保闘争に際し在京7紙朝刊に共同宣言として政府側に立つ議会主義守護の宣言を掲載。
- 1965年、日本の新聞として初めて発行部数500万部突破(この時点では全国1位販売部数)。
- 1974年、サザエさんの連載が終了。
- 1976年、ロッキード事件をすっぱ抜くスクープ報道(日本新聞第一報)。
- 1986年、海外版としてイギリスのロンドンで刊行開始。
- 1987年、昭和天皇の病状をスクープ。
- 1988年、リクルート事件をスクープ。
- 1989年、平成の三大誤報として知られる朝日新聞珊瑚記事捏造事件(K・Y事件)発生。
- 1992年、東京佐川急便事件をスクープ。
- 1995年、asahi.com(現朝日新聞デジタル)が開設された。
- 2006年、朝日新聞創刊127周年を記念した「ジャーナリスト宣言。」を大々的に宣伝するものの、翌2007年に他報道社の読売新聞WebサイトであるYOMIURI ONLINEから記事を盗用していたことが発覚し、わずか1年でキャンペーンを打ち切る。
- 2009年、紙面刷新に伴い日曜版が廃刊。
- 2010年、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件をスクープ。
- 2011年、東日本大震災の発生により発生の翌々日となる3月13日(日曜)に日曜夕刊を発行。その後、日曜版が復刊する。また同年、同紙のインターネットサイト「asahi.com」で有料電子新聞である朝日新聞デジタルが創刊した[1]。
- 2012年、1995年創設のasahi.comの名称を「朝日新聞デジタル」のブランド名で統一。
- 2014年
- 32年前に慰安婦強制連行(従軍慰安婦問題)の事実を報じた朝日新聞の紙面内容が(元同紙記者の)捏造であったことを認め、当時の記事を取り消して謝罪した。
- 福島原発事故当時、現場社員が上層部命令の受諾を拒否して我先に逃げ出したと報じた記事内容が全くの虚偽、捏造であったことを認め、当時の記事を取り消して謝罪した。
- 慰安婦捏造問題、原発報道捏造問題共に「朝日新聞社の組織的な犯行」として国会にまで及ぶ大スキャンダルに発展し、有識者による第三者委員会が発足、会議、調査を重ね、最終的に同年末12月の朝日新聞社臨時株主総会および臨時取締役会で社長辞任が決定、その後も第三者委員会が社長および取締役3名が過剰に報道編集に介入、(裏付けのある真実報道よりも反響、売上を優先し、結果的に)捏造を指示したとする調査報告署に基づき、同報告書記載の取締役3名が追加処分された。
朝日新聞による捏造、誤報、問題報道の一覧[編集]
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名前 | 報道年 | 説明 | |||
関東大震災における朝鮮人暴動捏造報道 | - | 1923年 | - | 朝日新聞大阪本社刊行の新聞紙面上に「朝鮮人が暴動を起こし、暴徒が横浜、神奈川を通過、八王子で放火している」「不逞朝鮮人一派は関東の随所で一斉蜂起を企み、中には爆弾を持ったり、石油缶を使っての放火を画策している」などのデマ報道を行った。 これらの誤報、捏造報道の主原因としては元読売新聞社の社主であり地震発生時は警視庁の重職、官房主事であった正力松太郎がデマの発信源であったと推測されている。 この報道との因果関係は不明ながら、関東方面の各所で実際に自警団による(主に)朝鮮人に対する集団暴行事件が発生していた[4][5][6]。 大正時代当時は現在と違って東京都と大阪府の連絡手段が電報(と、鉄道)しかなく、その電報も高価で裕福層や大企業、警察・政府関連専用だったことに留意。地震発生から数日間、東京朝日新聞は機能麻痺で休刊している。 | |
慰安婦問題 | - | 1982年 | - | 朝日新聞社所属の元記者が「慰安婦本人に聞き取り調査した結果」として朝日新聞の全国紙を利用し全国、全世界に対し繰り返し発信、全世界が知る日本の罪として認識するに至った。 が、報道内容が虚偽、捏造であったことが32年後の2014年に判明、現在でも捏造報道の内容が既に世界的な常識として独り歩きしており、国家間の外交問題にも発展し(朝日新聞社単独の努力では、もはや)取り消し不能となっている。 | |
伊藤律会見報道事件 | - | 1950年 | - | 昭和の三大誤報として知られる捏造報道で、「実際には取材(会見)していない、地下潜伏中の日本共産党幹部伊藤律と朝日新聞社の記者が宝塚市山中で数分間会見することに成功した、という内容で記事内容を報道したが、その伊藤律と会見した、という記者本人が同時刻に同市内の旅館で目撃される、などのアリバイ偽装すらしていないずさんな計画的犯行であっさりとバレてしまった。 | |
朝日新聞珊瑚記事捏造事件 | - | 1989年 | - | 平成の三大誤報として知られる。沖縄のサンゴ礁に人名を表す「K・Y」というイニシャルが刻まれた写真と共に、日本人のモラル低下を嘆く論調で記事を報じたが、後に悪者にされた地元ダイバーらが団結、報道時間帯に潜水していた(潜水用具や潜水用酸素ボンベをレンタルしていた)ダイバーを特定した独自調査により「朝日新聞社所属のカメラマン本人が同時刻に同地に潜水、カメラ用の三脚の足を利用し傷をつけたもの」という事実が発覚、記事を取り消して謝罪に至った。 | |
任天堂社長インタビュー捏造事件 | - | 2012年 | - | 2012年に朝日新聞東京版のコンピュータゲーム主要プラットフォーム各社責任者へのインタビュー特集を企画・掲載したが、そのうち任天堂社長からはインタビュー自体を断られていた。(その事実をそのまま掲載すればいいものを)任天堂に無断で同社の公式サイト上にあった動画での同社長の談話内容を切り貼りしてインタビューに応じたように見せかけて掲載し、水面下での任天堂の抗議を受け、やはり水面下で謝罪していた。 …が、2年後の2014年になって他報道社にその事実をすっぱ抜かれて捏造スキャンダルとなり、紙面で事実を認め謝罪するに至った。 |
脚注[編集]
- ↑ 意外かもしれないが、朝日新聞デジタルは刊行当初から有料であり、無料で読んでいる諸氏の購読料は「有料で読んでいる会員の会員費と広告費用、後から愛蔵版を購入する購買者の購読料から捻出」されている。 / この理由のため、朝日新聞のみならず、日本のWEB新聞報道の各ページはごく短期間で抹消し消滅する。海外ニュースサイトでは収益方法が異なるので、半永久的に残る(読める)。
- ↑ “朝日新聞、また誤報で謝罪文掲載 記事取り消し被害者へお詫び、方針ありきのずさんな取材”. ニコニコ動画 (2015年4月17日). 2018年3月12日確認。
- ↑ ※編注 前述の朝日スキャンダルの処分決定以前、2014年11月から名誉毀損罪でひまわりの会が朝日新聞を訴え事実無根の記事内容の取り消し、謝罪を求め係争中の案件が2015年4月17日付朝刊で虚偽報道を認め和解、謝罪文掲載に至ったもの。
- ↑ 在日朝鮮人と日本人の見分けがつかなかったため粗野な判別手段を使用し、多くの日本人が事実誤認のまま問答無用で殴り殺された、とも伝わる。
- ↑ 善良な朝鮮人を警察官の誇りを以て護るために、毒が混入されたと主張するその毒水とされる液体を1000人もの自警団暴徒集団の前で飲み干し、背後の400人の朝鮮人を守った警察官の逸話もある。
- ↑ 朝鮮人に対する暴行があまりにも広範囲に達したため、大日本帝国陸軍は朝鮮人保護のために陸軍兵力を動かした。
参考文献[編集]
- “朝日新聞 2018年3月5日 (月) 14:31 (UTC) の版”. 日本語版ウィキペディア (2018年3月5日 (月) 14:31 (UTC)). 2018年3月12日確認。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 朝日新聞デジタル - 朝日新聞のインターネット版。