鳥取県

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鳥取県(とっとりけん)は、日本都道府県の一つ。

概要[編集]

県庁所在地は鳥取市。面積は3,507.05km²[1]中国地方にある都道府県の一つ。

地理[編集]

鳥取県は、本州の西に位置する中国地方の北東部に位置しする。東西約120km、南北約20~50kmと、東西に細長い県である。 北は日本海に面する。東は兵庫県、南は岡山県、西は島根県広島県と接する。

鳥取砂丘を中心に白砂青松の海岸線が続く。南には、中国地方の最高峰・大山をはじめ、中国山地の山々が連なっている。山地の多い地形ながら、三河川の流域に平野が形成されていて、鳥取市、倉吉市、米子市が流域の中心都市となっている。気候は比較的で温暖で、春から秋は好天が多く台風の到来も少ない。しかし、冬にはかなりの降雪もある。[2]

歴史[編集]

県内の砂丘地帯や大山山麓などには、縄文遺跡や弥生遺跡が分布しており、古墳も数多く発見されている。銅鐸と銅剣がともに出土しており有力古代豪族との交流があった事を示している。大化の改新後、因幡・伯耆の二国が置かれ大伴家持が因幡国司に任ぜられている。

奈良時代中期に初期荘園として東大寺領高庭庄が設けられたのをはじめとして、平安時代 になると、荘園が各地に設けられた。平安時代末の源平争乱期には、在地武士の間に激しい戦いがあった。建武の新政の際には、伯耆の豪族が活躍した。室町時代になると、山名氏が因幡・伯耆両国を守護となった。

応仁の乱の後は、尼子氏や毛利氏などの支配を経て、豊臣秀吉の支配下におかれた。関が原の戦の後、1632年には池田光仲がほぼ鳥取県全体を支配するようになった。以降、鳥取藩は池田氏のよって治められた。

廃藩置県で元の藩主池田慶徳が藩知事となり、1871年(明治4年)因幡・伯耆両国と隠岐国とを併せて鳥取県となった。その後、1876年(明治9年)には、いったん島根県に併合された。1881年(明治14年)には、隠岐島を島根県に残して再び鳥取県として分離さた[3]

文化[編集]

スポーツ[編集]

Jリーグチームのガイナーレ鳥取を抱えている。



脚注[編集]

  1. 31 鳥取県Icons-mini-file acrobat.gif PDF”. 国土地理院. 2017年1月23日確認。
  2. 鳥取県の位置Icons-mini-file acrobat.gif PDF”. 鳥取県. 2017年1月24日確認。
  3. 鳥取県のあゆみ”. 鳥取県. 2017年1月24日確認。