鳥取県
概要[編集]
県庁所在地は鳥取市。県西部には交通・経済の要衝で山陰を代表する主要都市米子市があり、両市の中間に倉吉市、県西部の弓ヶ浜半島の北端に境港市がある。面積は3,507.05km²[1]。
中国地方にある都道府県の一つだが、1994年の智頭急行線開業後は、中枢の広島市への往来よりも時間短縮となる関西地方への傾斜が激しく、関西広域連合に加盟している。
地理[編集]
鳥取県は、本州の西に位置する中国地方の北東部に位置しする。東西約120km、南北約20~50kmと、東西に細長い県である。 北は日本海に面する。
鳥取砂丘を中心に白砂青松の海岸線が続く。南には、中国地方の最高峰・大山をはじめ、中国山地の山々が連なっている。山地の多い地形ながら、三河川の流域に平野が形成されていて、鳥取市、倉吉市、米子市が流域の中心都市となっている。気候は比較的で温暖で、春から秋は好天が多く台風の到来も少ない。しかし、冬にはかなりの降雪もある。[2]。
隣接する県[編集]
歴史[編集]
県内の砂丘地帯や大山山麓などには、縄文遺跡や弥生遺跡が分布しており、古墳も数多く発見されている。銅鐸と銅剣がともに出土しており有力古代豪族との交流があった事を示している。大化の改新後、因幡・伯耆の二国が置かれ大伴家持が因幡国司に任ぜられている。
奈良時代中期に初期荘園として東大寺領高庭庄が設けられたのをはじめとして、平安時代 になると、荘園が各地に設けられた。平安時代末の源平争乱期には、在地武士の間に激しい戦いがあった。建武の新政の際には、伯耆の豪族が活躍した。室町時代になると、山名氏が因幡・伯耆両国を守護となった。
応仁の乱の後は、尼子氏や毛利氏などの支配を経て、豊臣秀吉の支配下におかれた。関が原の戦の後、伯耆が中村氏に与えられたが、中村氏の無嗣改易後、1632年に池田光仲が因幡、伯耆2国のほぼ全体を支配するようになり。以降、岡山藩主と同族の池田氏(因幡池田氏)の鳥取藩によって2国が治められた。
廃藩置県で元の藩主池田慶徳が藩知事となり、1871年(明治4年)因幡・伯耆両国と隠岐国とを併せて鳥取県となった。その後、1876年(明治9年)には、いったん島根県に併合された。1881年(明治14年)には、隠岐島を島根県に残したまま、因幡・伯耆両国が再び鳥取県として分立した[3]。
文化[編集]
スポーツ[編集]
Jリーグチームのガイナーレ鳥取を抱えている。
教育[編集]
県内に長らく四年制私立大が無かった。2001年に創立の鳥取環境大学が2012年に公立化して、再び四年制私大無し県になったが、2015年に鳥取短期大学を運営する藤田学園によって鳥取看護大学が創立された。
メディア[編集]
1954年、米子市にBSS山陰放送がラジオ放送を開始してから、AMラジオは山陰2県の放送エリアである。
VHFテレビ放送は当時郵政大臣だった田中角栄の裁定で、BSSが米子市に演奏所を置いたまま松江市に親局送信所を置いて隣県の島根県域のみでテレビ放送を展開する「ねじれ状態」となり、鳥取市本社のNKT日本海テレビも鳥取県域局としてテレビ放送を行ったが、1972年にBSSの鳥取県へのエリア拡大が認められ、島根県域テレビ局として開局したTSKさんいん中央テレビも鳥取県に進出して、地方都市としてはかなり早い段階で民放テレビ3局化が実現した。なお、1989年秋まで朝、昼のワイドショーがNKTとBSSで同時ネットされるといった変則編成が続いた。県内に系列局の無いテレビ朝日系列局はケーブルテレビで近県や関西の系列局を視聴する人が多い。FMラジオ放送は先行したAMラジオ、テレビと同様に山陰2県エリアとなり、鳥取県は中継局のみ置かれている。
交通[編集]
空港[編集]
脚注[編集]
日本の都道府県一覧 |